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【○】 看板ミーツ割り箸、今世紀の最高傑作。ノーベル賞レベル(科学省)

ことわざ看板 MEETS 割り箸

【バイト】 疲わ~


●書くやつ
斜線道有紀『キネマ探偵カレイドミステリー』について
ムラタユスラ『夜が明けるまで』について


2018/11/6 TECHNORCH『もしも私が※の子なら』

 この歌は、男か女かってのが題材にされて、もしもがテーマになっている曲です。
 もっ、し~も。


DJ TECHNORCH fw.口枷屋モイラ+宇宙☆海月+お嬢 / もしも私が*の子なら


 これのジャンルの曲ってなんっていうんでしょう。EDMってことは分かるんですけど、サッカーのルールは球技っていうようなもんですよね。
 速くてうるさくて好きです。人には勧めないけど。(特にj,Jr.とかには)
 歌詞の内容は要約しにくいですね……。男か女か、と、もしも、が繰り返される曲だと思ってもらえれば。


 この曲で好きなところが2つあります。
 1つは、男か女かってのを自分側の目線から見てないとこ。
 これはまあ、男か女かが足がかりで、もしもがテーマなら、そういう形になるかなと理解できます。
 傍から見て性別不詳の人がいてどっちだろう、曖昧、テニスネットの上で止まったボール、答えは本人のみぞ知る、あるいは本人にも分からない……みたいな。そうじゃないんですけど。
 そういうんじゃあないんですよね。

『もしもいつでも もしもどこでも もしも私が女でもね もしも家の もしも中で もしもお兄ちゃんて 言われていたらあなたイヤになる?』

 家でお兄ちゃんって呼ばれている女はイヤか!?
 これはなかなか見ない問ですよ。
 まるっきり女の子に見えて女の子の振る舞いをする子が、実は家でお兄ちゃんって呼ばれているの……ってんなら分かりますよ。そんなら、実は男で、って話なので。
 でも女で「女なのにお兄ちゃんって呼ばれている」って話ですからね。

 ここでの女が体がなのか心がなのか戸籍がなのか、家族が狂人なのか狂人のフリをしている狂人なのか。定かではありませんが、これもまた不明。曖昧。可能性を広げるだけ。
 イヤになる?ってのもミソで、それまではイヤじゃないんですよね。なるんだから。家でお兄ちゃんって呼ばれていたらどうかという問で変わってしまうのか。

 もしもで囲われているどっちつかずで希釈されてホメオパシーレベルの問なのに。たぶん穢の概念と照らし合わせて見るのが分かりやすいんじゃないかなあ。
 人を見るたびに、頭の中で「こう見えて金星人の前科者なんだよなあ」って幻聴を聞くと参考になると思います。もしもの負の面が。


 も1つは最後のサビが好きです。

 その前に最初のサビから。
『もしも僕が女の子なら もしもの時は何でもしに来てア♪ゲ♪ル♪でも もしも君が男の子なら もしもの時は助けに来てチョ♪ウ♪ダィ』

 で最後のサビ。
『じゃあ もしも君が女の子なら もしもの時は******シ♪テ♪ネ♪』

 音声はピーで伏せられて、文字も塗りつぶされてますね。
 なるほどーって感じ。
 伏せられた単語を想像してハアハアみたいなことではなくって。
 もしももしもと分かれ枝を増やして増やして、最後に狭める。もしもは実と仮の一股の枝だけど、「何でも」は無限に分かれる。無限が1に狭められるけど、どの1かは伏せられる。そして1秒後に終わり。
 この可能性の収束は、本当に収束しているかも不明で。伏せた中身は「もしもの時は何でもシ♪テ♪ネ♪」ってこともある。これだとなんにも狭まってませんね。
 広げて広げて、最後に畳んだ感じだけど結局広がったまま。

 もしもってのは面白いね~ということを再認識した曲でした。
 この曲を勧めたい人は特に思いつきません。


2018/10/25 森博嗣『集中力はいらない』の答え合わせ

●目次 まえがき
 落ち着きのない子供だった
 だらだらも悪くない
  「集中力」を疑う
 集中を辞めると本来の力が生まれる
第1章 集中しない力
 何故、情報が多いと感じるか
 情報のシャワーにいかに接するか
 SNSは一切やらない
 閃きが生まれる環境とは?
 発想は集中からは生まれない
 情報は鵜呑みにしない
 「では、どうすればいいか?」の答
 「冷静」とは何か?
 空気を読む人の心理
 集中とは「機械のように働く」こと
第2章 「集中できない」仕事の悩みに答える
 集中は善ではない
 作家の頭の中とは?
 仕事に没入するスイッチはあるか
 やる気はコントロールしない
 「監督者」というもう一人の自分
 頭を発想しやすい状態にする
 多くの人は「反応」しているだけ
 作家の情報の接し方
 ストックがないから枯渇しない
 環境を整えるのは基本
第3章 「集中しない」と何故良いか
 何故「集中が良い」とされてきたか?
 人類の進化に見る「分散」のルーツ
 複数のことが同時にできる
 分散思考のメリットとは?
 せっかちを克服する
 同時進行の合理性
 一つの作品に集中しない
 時間の分散が完成度を高める
 アクシデントへの対応力
 分散が客観的視点を作る
第4章 考える力は「分散」と「発散」から生まれる
 「抽象」と「具体」はどう違うか?
 何故、抽象的な思考が大切か?
 機転が利く人の発想
 文系は言葉に頼りすぎる
 「考える」ことへの勘違い
 リーダとは問題を与える人
 成功する人は一つのことに集中しない
 研究者と作家の共通点
 「個性」はどのように作られるか?
第5章 思考にはリラックスが必要である
 リラックスの効能
 頭をリラックスさせるには
 世の中の常識を疑う
 「固有名詞」の功罪
 言語化すると失われるものとは
 結論を急いではならない
第6章 「集中できない」感情の悩みに答える
 仕事とライフスタイルを切り離す
 何故、くよくよ悩むのか
 コンプレクスとどう向き合うか
 プライドはどうか?
 効率化を図るには?
 ネットとの付き合い方
 人生をかけたテーマ
第7章 思考がすなわち人間である
 「集中」は人間を排除する
 人間不要の時代
 自分を縛っているのは自分
 習慣を変える
 思考こそが人格である
あとがき
 教育熱心だった母
 すべてはどちらつかずである


 森博嗣最高!
 内容予想と比べてみると、そんなに外してはいないかな?視力話はなかったけど。自在の話もなかったなあ。
 けどコツコツはあった。結構出てきた。

 予想では集中の反対は散漫と書いたけど、分散という言葉が使われていましたね。集中と分散の軸に重ねられて対比されたのが、反応と思考、機械と人間、文系と理系(言葉と数字(あるいは有限と無限))、対象と周辺、主観と客観に重ねられていました。
 あー、あとマニュアル。AIに仕事を取られる!だと僕が仕事したいマンにしか見えないな。全仕事機械がやって自適したいよ~。

 森博嗣がまた「具体と抽象について」の説明をしてました。
「なにか面白いものが欲しいと願った子供に、具体的な品を聞くと、テレビで見た飛行機のおもちゃと言った。だがこのおもちゃが子供にとって面白いものかは分からない。抽象的な『なにか面白いもの』は子供の欲しいものの本質だが、なにか面白いものというものを注文することはできない」みたいな。

 僕が好きなのは「この部品が欲しいというと、その部品でなければいけないけど、ここをこのように留める品が欲しいというと、さまざまな代用品や案が生まれる余地ができる」というの。
 これはマニュアル通りの人はマニュアルしかできないのと同じですね。
 けっしてマニュアルが無価値という話ではありませんので注意。

 好きなことをやろう!=自由になろう=嫌なことに集中するなかと思ったけど、そもそも集中が……という感じでしたね。もちろん、嫌なことをするより好きなことをしたほうが心的に健康なんですけど。

 思考こそが人格である。めっちゃかっこよく極論言い切ってるふうだけど、まあ、集中・反応・処理が機械側なんだから、分散・思考・発想が人間なのは当然ですね。
 また森博嗣全行程を肯定してしまった……(常に鼻持ちしてる太鼓持ちか?)


2018/10/19 森博嗣『集中力はいらない』の内容予想

 うおおおおおいつも心に森博嗣と思って新刊のいくつかを買いました。
 そのうちの一冊が『集中力はいらない』という題。
 どーいう内容か予想してみます。

1.自分がどれだけ散漫かという話。
 森博嗣の机はおもちゃやらなにやらでごちゃごちゃしている。部屋もごちゃごちゃしている(かつて土屋賢二が「人が住むとこじゃない」と言ってたくらい)
 執筆は一時間だけしかやらない、あれやってこれやって。
 整頓(安定)したいですか?笑 死人みたいに。
 大きなことは精緻なものは、日割りでコツコツと作られたものにちまいない。
  職人は休憩時間になったらすぐ手を止める。そして時間がくるとすぐ復帰する。自在。どの瞬間でも切りがいい。切れ味がいい。
 散漫の漫は広いという意味を持ち、集中は狭い。
 視野は広く、遠くまで見えるのがよいだろう。もちろん視力の話じゃないけど、ここで森博嗣の視力話がある(子供の頃、目が良過ぎで本が読めず、腕をいっぱい伸ばして読んでいた)。

2.動きの集中と思考の集中の話。
 枯れ葉集めの話から。
 単純作業よりも単純思考はやっかいだろう。単純作業はかえって頭が働く。
 受動的(TVとかTwitter)は無。ばか。知性の欠如。頭に鎖工場作るな。
 人間の持つもので一番切り替えやすいのは思考。
 考えている対象から離れることで画期的なアイディアができる(そーいうアイディア本あるね)
  よく使われる「考える」は、「考える」に満ていない。もっと考えたほうがいい。

3.集中した人は価値がなくなる
 マニュアルだけしかできない人はAIに取って代わられる~という話もあるかも。
 AにはBすればいいという人はAにはBしかできない。(AにはB、と集中している。思考をロックしている。頑迷固陋。未来がない)
  なるほどと膝を打ったらすぐ老後(これは橋本治)
  働いてTV見て寝て…みたいな人は時間を失っているだけ。
   マニュアル・ルーチーン・パターンに共通する、無思考。
    たとえば、「会合の最初は自己紹介から」とかね。
 集中の極みは点。それだけになる。(♪~)
  散漫の極みは無限かな。極まらないということ。

4.自由になろう
 好きなことをするときの集中は、集中力ではない。
  苦痛を伴うから我慢、努力というようなもの。
 集中力は、与えられたものに飛びついたときにしかあらわれない。もっと自分でやろう(簡単に物があって簡単に手に入らない手に入ったところでお前のものにはなりえない)


 みたいな感じですかね~。
 森博嗣のエッセイの9割はガイシュツなので、そー外れてないと思いますが。
 広く遠くを見ようとか、受動的はばかとか、マニュアルしかできない人って……とか、無思考で展望もない人が生きているの純粋に不思議、とかは固いと思います。
 遠心求心みたいなことではないかな~。たとえば研究をするとき多角的に誤りを探すと思うんだけど、そのさまが求心や集中に見える。ただ一人の中に百人がいて百人がひとつのものに向かう場合はどうなるんだろう、というのはある。人格切り替えや客観からくる疑問だけど。
 能動受動だと求心遠心に近いからカスリはしそうかな~。


2018/9/12 2回目って初めて~

 ある種の無敵について。

 人がいて、「でもこれ人じゃない可能性もあるよな~」と思うことはできる。
 明らかに人でも、「でもこれ人じゃないんだよな~。俺はこれが人でない可能性を考えちゃうんだよな~」と建前作れる。
 人のように扱ってものちのち、「あ~もしかしてあれ人じゃなかったっぽいな~」と思い直すことはできる。

 人かなって思ったときに「人じゃないかな~」って言える。


2018/8/30 『四谷三丁目のガールズバー』について

> ガールズバーの人「ガールズバーでーす」
> 「えっ、ガールズバーですか」
> ガールズバーの人「ガールズバーです」
> 「えー」
> ガールズバーの人「よろしくお願いします~」
> 「ありがとうございます」
> ガールズバーの人「ガールズバーでーす」

 THE秋さんのこれ。ふふってなったので書いとく。解釈固定注意。
 これは自分にレッテル張りして、かつ、それを売りにしている人を揶揄してるんでしょう。
 会話しているようで、なんにもなってないなって。

 まずガールズバーの人の言葉、最初と最後が一緒なんですよね。
 これはまあ、「こーいう会話では何の発展もない」ことを示唆していると見てます。ガールズバーという情報が一方的に渡されただけなので、このやりとりの間でガールズバーの人が何か変わるわけがない。変わらないからガールズバーでーすから入る・アピールする・客引きをすることになってしまう。
 ガールズバーに入ると、ガールズバーの人との会話は『キャスト』との会話になるから、その人そのものとの会話にならない(対等な人間との会話にならない)という意味もあるのかな。
 「俺は天皇だからここは江戸城」と言ってる人に近づくとき「皇居初めて来た~」と認めてしまったら、「お前は天皇じゃない。俺が天皇」とは言いにくい、みたいに。

 客側の言葉は「ありがとうございます」がちょっと分からないかな。なにがありがたいんだ?
 ガールズバーではない場所でガールズバーの人と「ガールズバーの会話」ができる=実質無料ガールズバー! となってありがたく感じている、というのがいちおうの最有力。
 「ガールズバーでーすという客引きに乗ってそこをガールズバーになるとコスパ高い!」と思う人の邪悪さがある。邪悪さがあると邪悪、という話なります。
 ガールズバーの人がそこでガールズバーを開いてしまうと、ガールズバーの人がいなくなるまでそこはガールズバーになりますし、そこでの会話は『ガールズバーでの会話』になってしまいます。正体見たり外道照身霊波光線するのはガールズバーに入る前にせにゃね。風俗でこと終えたあとに説教、みたいな醜悪なことにしかならない。
 実質無料でありがたいで見ると、「あきらかガールズバーではない場所でガールズバーを主張しているたとえ」になるからちょっと変に見えるんですよね。まあいいか。

 客側の「えっ」「えー」「ありがとうございます」は疑問→疑惑→許容の流れを見てます。否定気味の「えー」からの「ありがとうございます」がちょっとトんでるような気がしますけど。「えー」が「へぇー」だと疑問→納得→入店なんですが、台風の「へえ」を連想して誤解させちゃうから「えー」にしたのかな。
 ガールズバーでない3つの「」が同一人物でなく、「えっ」「えー」「ありがとうございます」の3パターンの反応を書いてる、とも見れますね。(1つのやり取りごとに改行してもおかしくない気もしますが)


 あと「ガールズバーの人」は「ガールズバー」そのものではない、っていうのもあるかな。
 ガールズバーの人「ガールズバーでーす」が笑けるのは「A=B」はおかしい?が当てはまるかな。「A=Bでーす」。A=A'くらいか?


 追記
 チーバくんで~す。何に使うかは、カセットテープで~す。
 「A=B」はおかしい? に『僕の嫌いな「説得力」』と書いてあって、笑った。まあ、たかだか4年か。


2018/6/4 「青」と「赤以外の色」、どっちが赤に近い? の話

 青と赤以外の色、どっちが赤に近いんだろうということを「ふとよく」考える。そして、そのときどき考えることが違う。結論が違うんじゃなくて、想像の並べかたが違うことが多い。

 「自宅でカレーライスを食べる」に近いのは、
 「実家でハヤシライスを見る」なのか
 「自宅以外でカレーライス以外を食べない」なのか。とか。
 連想して、
 「自宅以外でカレーライス以外を食べない」と
 「あそこであれをあれした」はどっちが近いのか。とか。
 ゾウ以外を思い浮かべてと言われてゾウを思い浮かべちゃうって話あるなあでも本当にそうか?とか。

 語彙のこととか。
 赤と赤以外の色とさえ言えば全ての色が含まれるよなとか。

 「青」と「赤以外として選ばれた青」は違うかとか。
 そこに差異を見出す人はだれ、どんな状況下?とか。

 近さを決めたら、確率で「確からしさ」の数字が実際に弾き出されると思う。
 「赤以外の色」であれば。
 「赤以外」が色でなければ、もうファジィにもはかれないと思う。
 色以外。
 そして「猫」と「色以外」、どっちが赤に近い? という話にもなる。

「『以て外す』を含める」と、無敵になる。なんにでもどうにでもなる。やめといたほうがいい。


2018/5/11 時が解決してくれる?

 実家の庭には(小学生感覚で)めちゃくちゃでかい木があって、ちょっと登って、一番根本の太い枝に腰掛けてた。いつか一番上まで登ろうと思ってたら、急に伐採されていました。
 ちょっと開けた庭を眺めながら、いまあの木に登っていたらすとーんと落ちちゃうな、とか考えてました(もっとエモく悲しめや)。



 木の時間が戻れば、今の僕でも登れる。
 自分の時間が戻れば、ない枝の上に座れる。
 木の場所の時間を進めば、今の僕がなにかに登れるかもしれない。
 自分の時間が進めば、今は行けない場所にいるかもしれない。

 というと「現実は常に正解」という言葉が跳ね返って終わり。


2018/5/8 自転車

 Fくんがいまにも死にそうだったので夜勤働きながらなにがしか考えていたけどすっかり忘れた。
 ムラタユスラさんの1stアルバムの1曲目『自転車の歌』の第一声は「僕は死んだほうがマシだ」。
 自転車買いました。フツーのママチャリだけど、楽しい。移動は楽しい。

 「一度漕いだら止まらない自転車になりたかった」は、人でなく自転車になりたいってことよりも、「止まらない」に惹かれて、なのかな。
 自転車って漕いだら進むけど漕がなかったら進まないじゃん!って感銘受けたことある(バカか?)。


2018/3/1 かもめのJ

 ジャッキーさんの美意識のを読んで、森博嗣やん!と思った。でも、このようなことを森博嗣がどのように言っていたか、思い出しても、ぴったり当てはまるものはない。
 ますます考えてみると、森博嗣じゃないなと思う。「自分の中にある価値観」を小さい頃から確立にしていたようだし、他人に頭が固いと言われることがなんともない人だろうし。
 僕は人に「○○、いいの?」って聞くけれど、こーいう、判断を他人にさせるたぐいの言葉は、森博嗣は絶対にやんないでしょうね。

 森博嗣の本を読み返しているうちに、かもめのジョナサンが読みたくなった。
 森博嗣は機能美が好きらしく、かもめのジョナサンもそういうことを書いていたよーな気がしたのを思い出したから。
 以前いっぺんだけ読んだことがあって、かもめがめっちゃ早く飛ぶということしか憶えてないけど。

 改めて読んでみると、オタク(マニア)の話だなと思った。
 飛ぶことをクラナドに例えてあらすじを書きます。

 オタクがアニメみて「クラナドは人生」とか言って、全人類クラナド見るべきとか言ってたら、近所さんからムラハチにされる。でもクラナド最高だから、2chでオタク話に花が咲く。衆中に啓蒙するため野外クラナド爆音上映したら通行人に白い目でみられた。けど通行人の一人が「クラナドは神アニメ!」と言い出して感動の嵐につつまれ以来そこでは延々とクラナドが上映されているのですチャンチャンみたいな感じ。
 そのあと「クラナドオフ会」が定期的に開かれるけど回を重ねるにつれクラナドに対する感動が失われてしまった……みたいな後日談がある。

 ブッダが悟ったあと凱旋帰国して両親を改宗したことも思い出す。
 素晴らしい思想の話。

 寓話だなと思った。啓蒙の物語、自分らの主義主張の正しさを抽象した話。
 この寓話のテーマを言うなら「周囲の目に関係なく自己肯定する」とか「自分のしたいことをする自由/勇気」とかかな。
 ジャッキーさんの美意識の話につながるような、そうでないような。

 寓話は、「説教くささ」が鼻につきますかね?
 僕はそーいうのに鈍感なので、どっちも「いいこと言うじゃん」と思う。正誤ばかり気にしすぎだけど。
 森博嗣の本を読んで「作者の自慢話」と思ったことが一度もないのとおんなじで、僕にはなにか、センサーがないんじゃないの。

※ 五木寛之のあとがきで星の王子さまもブッダも出てくる。


2018/2/18 コンビニエーンス

 コンビニアルバイトについて。
 単発バイト、警備員、ピザ配達、ラブホテルの清掃、バーテンなどを経て、今しているバイトは、深夜のコンビニです。7-11。トクマルで働いているので昼夜逆転しっぱなしです。
 深夜のコンビニで一年半も働けば、もう、来るお客さんみんな知り合いみたいな感じになってきます。名前も知らないけど。あの人はどんな仕事をしてるかとか、なにが好きかとか、恋人がいるか結婚しているかとか。
 話すこともありますけど、たいていは観察して考察します。だってねえ話しかけられるのってヤじゃないですかコンビニ店員ごときに。部落民みたいなもんでしょ。「部落民と仲良くして平民に噂されると恥ずかしいし……」みたいな。話して長引いて後ろの客待たせても困るし。
 チップをもらうこともありますが、その人はインドの方なので喜捨ですかね。ビールももう20本くらい貰ってます。
 どーして貰うようになったかっていったら、なんとなく顔見知りになったからですね。で向こうが片手挙げたときハイタッチしたのが大きかったのかも。勤務外で道でばったり会ったとき一緒にビール飲んだこともありますね。

 他には……。 
 駅前の居酒屋の店長が毎日2時くらいに来るので、たまにはと思い、僕がその居酒屋に行ったら、相手がちょっと訝しんで驚いて微笑したこともありました。
 70歳くらいの爺さんに金貸してと言われて、捨てるつもりで貸したら、返ってきたことも。「俺は必ず約束は守る」と。そのあともう一回貸したっきり会ってません(いつ返しに来るのかな?)。
 深夜に「ゴキジェットありますか?」と聞いてきた女子大生がいたので、「あれが出たんですか?」と(分かりきったことだけど)投げかけて話しして、「ちょっと店開けて退治してくれません? 時給の倍だしますから!」と言われたこともありました。(これを逆ナン経験に数える)
 アニメ好きの若い土方のにいちゃんに「あんまり顔出せなくてごめん」と言われたこともありましたね。わしゃキャバ嬢か。
 マルチコーンを毎回買う人がぱったり買わなくなったので、なんでかって聞いたら、彼氏と別れたから、とか。
 毎朝ビールと犬の餌を買う人が、ビールしか買わなくなっとき、さすがに、なんで買わないんですかとは聞けませんでしたね。
 1~3時に来る人が隣室から出てきて立ち話したこともありますね。以来玄関の鍵はしっかり閉めることにしました。

 そーいうことって、まー、イベントですよね。
 突発的なものもあれば、好感度的なのをあげて起こるイベントもある。完全にカキワリになっていたら起こらない(起こさずに済む)話ですよ。
 どーやって仲良く……というか……カキワリでない、ちゃんと生きた人間であるかって思わせるか……というのは……。

 今日あった話なんですが、お客さんが、フライヤー(揚げ物。ビックフランクは実はあげてない)をちょっと見てから、レジにかごを置いたあとも、まだフライヤーを見てる。全部スキャンしたあとなにか頼むかなと思っても頼まない。そーいうときに「なんか頼まれます?」と聞く。すると「○○が食べたかったんだけどないね」とか「じゃあ○○を。最近夜食は控えてて~」みたいな話になる。「あれ意外と売れてるっぽいですね食べたことないけどおいしいんですか全然おいしそうに見えないんですけど笑」とか「じゃあカップ麺とか買わないほうがいいんじゃないですか笑」みたいなこと言う。反応がなんにもないってことはない。だってフライヤー見てんだから。なんかある。それは絶対なんかある。なんかあるけど言うほどでもないしコンビニ店員(他人)にそーいうこと言わない。だから言わないけど、聞かれたら言う。だから聞く。聞いてみたくなる。なんかあるんだから言ってみろやという気になる。
 こういう「つっつき」をするから、認知されやすいのかな、とは少し思いますね。
 「なんか頼まれます?」だし。「なんか」て。
 でも本来相手の注文を待つあるいは待たずに会計をするのが店員の仕事だから、この余計な一言は業務外。業務外のこと言っているのだから業務外の言葉を使うのは自然なので。業務外の言葉を使われると、相手もカキワリじゃなく業務外の人間を相手にする心つもりになる(はず。ほんの少しは)。
 別に、コンビニは地域の輪とか、人間味をもって接客をとか、そういうことではなく。つっつくと反応があるから面白いってだけです。なにせ深夜のコンビニは暇なので。

 暇の対策もいろいろあって。
 カゴを受け取るときに腕をぐるぐる回すとか。スキャナー持って胸の前で腕ぐるぐるして「準備できているぞ」感を出す。その前に頭下げろやという気がするけど、腕ぐるぐるする。
 あとは、なにかで名前や住所を見たら次に来店するまで覚えとくとか、クレジットカードの番号をおぼえるとか(犯罪か? 新レジになると出来ない)。無駄に大きい袋を使うとかあえて小さい袋でぎゅうぎゅうにするとか、nanacoをマンコと言うとか(実際はマナコと発音されがち)。タバコの番号を言う前にすでに手元に持ってる「瞬間移動ごっこ」とか、あえて変に聞くとか(冷めたままで?とか)。ありがとうございましたーの節を変えるとか。
 退屈を紛らわす、ほんの少し楽しむ工夫ですね。「バーで黙っているときのこと」とは同じような感じ。逆のようでもあるけど。


2018/1/29 ふと思いついただけのこと

 賛成票と反対票どちらにも入れることが出来たとして、どちらにも票を入れた人が「二倍社会参加!」と言ってたら、ウケる。


2018/1/27 ERAい

 偉いとはなんぞやと2秒だけ考えました。最近よく思い当たりがちな言葉なので。
 意味は「凄い」くらいのもんです。
 身分が高いの意を加味して「自分には無理」というふうでも使います。

 偉いは、偉そうとつながりが強いです。不思議ですが、たぶん、偉さってのが計れないものだからでしょう。それも、分かりにくい計りにくさ。
 分かる計りは熱とか重さとか。
 分かる計りにくさは、熱湯チャレンジとか、ミニチュアの大仏とか。それと、汚さとかおいしさ。判断があって、判断が人間の場合、人間みな同じじゃないので。これは統計でグラデーションして大まかに「この域だと汚い」と言えるやつ。
 分かりにくい計りにくさは、グラデーションをさらにグラデーショるやつ。
 選挙で言えば、実際に入れられた票が「分かる計り」。出口調査が「分かる計りにくさ」。分かりにくい計りにくさは……なんだろう? どの党が好きかという街頭アンケートや、理屈で考えてこの党だろうという脳内論議や、各議員がテレビに映った時間とか、人相とか……「それがそう」なのは「どうにかなってから分かる」ようなもの……、分かりにくい説明なのでよく分かりませんね。
 まあ、分かりにくい計りにくさは、尺度があいまいなのでなく、尺度がたくさんあるやつです。たぶんイデア界にしかない「受票計」っていう物差しがあって、それをあてると、長さや温度を計るように「おっ自民党が勝つぞ」と分かるんでしょうね。
 でまあ、そんな計りはこの世になく。
 そして、そんな数値はいらなくって。
 自分が汚いって思えばそれは汚いし、つまらないし、美しいし、おいしい。
 その数値ってのは、まああったところで。感覚があるということの方が、もっと大事に思う。沖縄に行ったら、絶対、「こっちは半袖でも暖かいね」って言うでしょ? 遠くからやってきたんだから。そのうえ生きているし。


2018/1/21 どんな法則にも例外はあるの話/ないけどあるの話

 僕は「知っている人には分かることを、知らない人には分からないこと」ばっか言っている気がします。このウェブログでも口でも。
 それを「知っている人には新たになにか、知らない人には分かるように」とゆーのが理想系だと思うのですが。
 難しいですね。とても。
 タイトルのことについては「人……」でおわり。それ以上はもうクドいと思って、めちゃくちゃバカらしくなります。でも伝わりようないので、めちゃくちゃバカなのは自分ですね。伝わったとて、それで伝わるんならヤバいってことも分かるから「怖っ近寄らんとこ」と思ってしまいます。

 いや。「人……」じゃないが。(人の血をすすったマザーテレサか?)
 順を追います。



 どんな法則にも例外はあるとゆーのを聞いたときに、100人中120人が「この法則にも例外があるやんけ~自己矛盾~~つまり例外がない法則もあるということ~論破できてよかった敗北を知りたい~」と思う、と偏見します。
 これには「1も10もゼロかけたら同じ~」的な無を感じます。かけるなや!
 どんな法則にも例外があって、この法則が例外なら、ある法則には例外がないことになります。じゃあどの法則には例外がないんでしょうね、この法則だけでしょうか? という話に持っていくことが出来るはずです。いったいどんな法則を見て「どんな法則にも例外はあると言ったのでしょうか」という大喜利にもなる。

 でも、間違いは、面白いです。
 例えば#MeTooとか。I am KENJIとか。
 ケンジじゃない人がI am KENJIと言ってる。ケンジじゃないのに。ケンジじゃないのにI am KENJI。
 もちろんケンジがI am KENJIと言っても面白い。I am 頸を切られない方のKENJI。
 その、間違えながらなにかを主張する姿勢が、素敵だなと思う。you are KENJIとか言って笑っている人(僕)よりなにもかも偉い。本当に。真似出来ない。恥ずかしいとか無意味とか思う。「そうやってためらっているうちにKENJIの命が!」みたいな人を想像するだけで痙攣してしまう。

 夏子さんや久保くんの言ってた「たとえ間違っていたとしても行動をする」という心理が、本当に信じられない。偉すぎる。世界を良いものにしていこうという強いパワーを感じる。
(ナポレオンの本名がメポしオソではないと言い切っても、それは間違いとは言い切れない(?))
 本当にね。「神の手の中にあるのならその時々にできることは宇宙の中で良いことを決意するくらい」から一歩踏み出したら「たとえ間違っていたとしても行動する」ですよ。
 その一歩が、崖から谷底に落ちる一歩に思えるのですが……でも一歩差は一歩差です。
 僅差です。弓道で言えばどちらもあたりではないでしょうか。ゴルフで言ったらニアピンとグリーン・オンくらいの違い。野球で言ったら四球出塁と死球出塁。(サッカーで言えばヘディングとハンド、バスケで言えばピボットとトラベリング、バレーで言えばスパイクとタッチネットとも言えますが……)
 本当にえらいこっちゃと思うのですが、バカにしている感じが否めないので、日本語の難しさを感じます。

 それで。えーっと。
 ああ。ないものがあるの話です。
 KENJIじゃない人がI am KENJIと主張したときの感情って、どのような言葉で表されるでしょう? いや、後藤健二やISISに対する感情ではなく、その行動をする心が。あてはまる言葉がないんですよね。あえて言うなら「ないものがある」でしょうか。キャサリンだってまさか自分がKENJIだとは思ってませんから。もちろんボブも。
 「ないものがある」は、僕には「信仰」が近いのかなと思えます。喜怒哀楽よりはずっと近い。ただ、「ないものがある」と「これはある」は近いだけで決定的に違うのですが。一歩ほど。


 ないものがある、という感情。
 例で言えば、サンタクロースです。
 サンタクロースはいません。けど、いることにして、プレゼントをあげる。楽しませる。あるいは一緒に楽しむ。クリスマスの仕組のひとつになる。
 そしていずれサンタクロースが嘘だと分かる。つつがなくプレゼントを渡す代わりに、嘘つきになるわけです。あげる方も受け取る方も。
 楽しさのために。
 「恋愛などない」と同じですね。恋愛はサンタクロースの逆で、「ある人」がずっと多いでしょう。けどおんなじです。

 僕は、両親が信じている宗教が嘘八百だと思ったときに、「真実」や「確信すること」についてめちゃ考えました。
「火は冷たいね。氷は熱いね」と教育された子供は平気で嘘つけるんだな、というのを、純粋に信じているらしい教会の同い年の子供を見て思ったり。教義の正しさを証しする人を見て、確信したがっている気持ちがある人が確信したと証言してもそれが真実であるかに全く関係ないと思ったり。
 何かを信じたい気持ちや真実は僕にもあります。「なにも信じない」と「信じたいを思う気持ちがある」のふたつが、最近には言葉にできるほど、分かってきました。たぶん何かを信じたい気持ちは誰にでもある「感情」だと思います。それこそ喜怒哀楽のように――あるいはそれ以上に強く。その感情があまりに強いから、もう決めているんでしょう。僕も「信じられないぞ」と決めていました。ただ言動や行動に移せなかっただけです。心体不一致ですね。
 自己批判の目を持っている人が「神様を信じる強さを僕に」とか「絶望の『望』を信じる」とか「信じたいために疑い続ける」とか言ってんでしょうね(中村一義のはちょっとだけ違うかな?でも僕は最初歌詞見た時そう思った)。
 そう歌う彼らの賢さと、僕の「信じたいぞ/信じられないぞ」という気持ちは、形は似ていますが、これも一歩差の違いです。「肌を黒くしたいために~日サロに通い続ける~」の人と、黒人米兵の私生児との違いです。性能と性質の違いで、なんというのかな、ただ冷笑的なだけです。馬鹿にするのが好きな敗北主義者だから。


 それで。あ。絶対の話をしたかったんだ。
 絶対。
 絶対は信仰と切り離せませんね。僕は、ナポレオンの本名がメポしオソだって主張しても誰にも論破されない自信があります(相手にもされないと思うけど)。メポしオソは火星人だから洗脳光線が出せるんだ! とか言って。
 統合失調者に思考が漏れてませんよと説得するようなもので、無理です。だって、思考が漏れているのがその人にとっての真実だから。自由のため死ぬとか愛しているから殴るとか儲けるためにパチンコに行くとかさ、あるでしょそういう「なんでそうなるん!?」的なの。
 僕にとっての絶対は「感覚」ですね。結局自分が好きなんですよ。たとえ間違っていたとしても……(行動はしませんが)。


2018/1/13 逃げるほど必中

 最悪です。誰がって僕が。何がって申し訳なくて。
 10日~15日まで実家に帰る予定だったのですが起きた時がちょうど搭乗時間で、乗り過ごしました。父は空港で待っていたらしく、待ちぼうけくらったようです。LINEを薄目でしか見てませんが「人としていかがなものか」と言われました。
 さらに。翌日のチケットをすぐさま取ったそうです。それを見たのが今日。
 ……。

 人として! いかがなものか と言われた(575)

 トラバサミがあることを知りながら部屋を走り回ってるようなものです。
 トラバサミがあることを知っているから膝を丸めて座り込んで痩せこけているようなものです。
 トラバサミを仕掛けずに株を守っているようなものです。

 はー。
 この三日、Amazon Prime Videoでアドベンチャータイムを70話まで見ました(現実逃避)。
 バイト先に沖縄土産を買わないといかんかな。Amazonで。


2018/1/9 

 ここ一ヶ月くらい睡眠/バイト/ネット小説を読むの三つしかしてませんと言っても過言な生活を送っています。
 こないだまでは本好きの下剋上という作品を読んでいました(祝!このライトノベルがすごい!2018 単行本部門1位!)。
 最近読み始めたのは異世界迷宮の最深部を目指そうという作品です。
 面白いです。泣きました。

 小説家になろうの作品は、4つしか読んでないのですが、どれも長い!
 本好きの下剋上はおおよそ600卍です。
 1分間に読める文字数は400~600字らしいので、全部読むまで1万分かかりますね。1時間は60分なのでだいたい167時間! 1日は24時間なので不眠不休で読んでも1週間はかかります。
 それに較べると異世界迷宮の~は短いです。短いですけど、380卍です。

 マジ万字。卍 from 卍卍。


 ゆうきまさみ先生が、「キャラクターが一番大事ってのは本当にそう。話を面白くするならずっと面白い話をしないといけないけど、登場人物が好きならずっと読んでもらえる」とゆーよーなことをTwitterで言ってたよーな気がします。
 Dr.マシリトの名インタビューでも「身近に感じられる魅力的なキャラクターが全て」とゆーよーなことを言ってますね。
 長い小説を読んだら、思い入れは深く深くなります。というより、思い入れがないと長い小説は読めないのかな?
 感情移入という言葉は嘘くさいですが、まあ、入れ込む、くらいならアリ、かな。


 信頼している人が数人います。
 センスが合う、ではなく、なんというか。おっイイじゃん!って人。
 
 「いぶそう(異世界迷宮の最深部を目指そう)は魔法に伴う代償とか迷宮の守護者とか面白い設定がたくさんあるけど、それら全てが人間の感情を描くためのギミックにすぎず、それ以外の描写はほとんどおまけにすぎない。だから人間の感情にあまり興味のない人には何が面白いのかわからなかったりする
 という紹介に興味をそそられて、"なんとなく気が向いて"年末に読み出し初めました。上のツイットから四ヶ月経ってますね。興味を持ってから読むまでに四ヶ月かかっているぞ! オフライン!!
 それで、まだ読んでます。繰り返し読んでる。
 そろそろ書籍版も読んでみよーと思ってます。
 最高!

 終わり。


2018/1/5 ここが変だよ中村一義

 最近は中村一義『海賊版』ばかり聴いているのですが、この人なんだかどうかしてません?
 『ビクターズ』って曲、聞くと、「みんなこの みんなこの場に」と歌ってるんですが、歌詞見ると、「みんな!個のみんな!この場に」なんですよ。ふざけすぎでしょ。意味深にしすぎでしょ。なんなん?
 『こうでこうでこう』は「アーウィ! カタばっかり」がそのまま「アーウィ!カタばっかり」って歌詞でした。こう聞こえるけど実際は「ああいう言い方ばっかり」なんだろうなと思ったら。騙された。
 『あれやこれや』の「届く日まで届けよう」とかいうのも。口ぶりは「歩き方で歩こう」と同じですよこんなん。同じじゃないけど(側が似てても中が違うなら違うやつ。はさんに指摘された)。


2018/1/4 バーで黙っているときのこと

 盗み聴きしているときについて。

 バーでも、バイト中でも、自分は喋らないで置物のようになって、他人の話を聴くことがよくあります。
 目をつむったり斜め上を見たりして、「私は外に関心はありません」ということを示し、壁を作ります。(「周りの人を書き割りのように扱ってはいけない」けれど、自分を書き割りのように扱うのはどうなんでしょう?)

 で、ひそかに盗み聴く。話を聞くときに、面白がり方はいくらでもあります。
「この人とこの人の会話量、8:2だな。この人はいつも8で話すのかな? この話題だと8で話したいのかな? あるいは相手が?」とか
「あっちとそっちとこっちの人たちの声量は8:1:6だな。全体的に声が大きいな。集団対集団では釣り合いが取れてるけれど、全体として大きいぞ。1の人たちはお互いの会話は成り立っているけれど、疎外感というか、うっとうしいものを周りに感じるかも?」とか
「イントネーションがうける」とか
「著名人と自分を繋げすぎやろ~」とか
「あっまたこの接続詞使った。毎回否定から入るよな~。自分の投げかけた言葉を肯定しないと否定するのはDVだよ~」とか。
 自分が話しながらでも意識するのが人間のプロってやつだと思うのですが、僕は人間のアマチュア四級なので、そこまで考えられないようです。三手先までしか読めないようで、大局観がありません。

 もちろん話の内容も耳に入ります。興味をそそる話があったら「自分だったらこう口をはさむ」と用意します。そして実際の話の流れと照らし合わせます。
 まず、「自分がいたらこの話は聞けなかったな」と"必ず"納得します。納得したあと「口をはさまなくてよかった」とか「口はさんでもっと掘り下げたかった」とか「ゴミか?」とかを思います。
「あ~あいつのあれが、あいつの聞きたい話/したい流れなんだな」とか「あの人は絶対あれが得意なんだろうけど、だれもつっつかないな」とか思います。


 盗み聴くときに、「自分がこういったら話の流れはどう変わっていたか?」と考えると、その人が言いそうなことを思い浮かびます。
 レッテルですね。レッテルぺたぺた。ドッペルと似てる。


2017/12/8 寒い

 手の先足の先が勝手に冷えてても不快ゼロ、あっためたときに気持ちいいので、体が冷えたら基本プラスだと考えている。けど、裸で窓開けっ放しにするのは愚と思う。
 端から壊死して死ぬのより、ナイフで心臓刺される方を怖がっている。
 刺すぞ~って言われたら、困る。刺されたらもっと困る。
 死ぬのと破損なら、破損の方が生きているだけマシと思うけど、でもちょっとの破損もしたくなくて袋小路に行き詰まって、うわ~っつって丸まって死にそう。
 寒い~っつって路上死しそうな人生(浮浪者の人生)。


2017/11/28 極寒

 寒い。
 暖房つけたら暖かい。
 科学と工学に感謝。原発に感謝。

 誰に断って人の部屋をこんなに寒くしてんだ。そいつを発見次第必ず殺す。
 うそうそ冗談冗談。冗談の踊り。
 日本の美しい四季に涙。

 体温と気温のズレがあまりに大きく不快。
 謝罪を求める。
 地球が土下座したら自転が止まった。宇宙も土下座してる(だから宇宙は暗い)。

 感覚がある。
 調和。
 エモい。


2017/11/27 かたち大好き

 かたちとか、存在とか、あるとかないとか、動きとか、作用とか、そういうのが好きです。そういう言葉が。大まかな感じがツボ。


2017/11/20 感情

 感情で判断する人、感情で判断してる。
 どのような感情を持つことも正解で、その通りなんだけど、ただその通りであるだけで、そもそもが理屈じゃないのだから、感情のあとに湧いた理屈の正しさは、感情の正しさとは別枠。
(これは人を馬鹿にしているわけでなく、本当に。自戒を込めて。。。
 人の大事にしていることを踏み荒らすような真似は、その人にとっては大事じゃないから。価値観が違う、というのは、賢さとか善悪ではなく、そのまま、価値観が違うこと。割れた食器は0円な主婦もいれば、皿も復元できることを知っている主婦もいる。トイレの神様もいるし、使い捨て鍋なんてのもある) 


2017/11/18 久保くんのFacebookその2

 最近、ショックを受けることや怒ることが尋常じゃなく多いです。それも、普通は誰も気にしないことで。
そのことを相談すると、「それは人に過度に期待しているからだよ。人に期待しちゃダメだよ」と言われるのですが、そうすることが本当に良いのだろうか、と思います。
自分の期待に100%応えて欲しいとか、他人を自分色に染めたいとか、そんな極端なことではなく、
「最低限の思いやりや想像力があったら、普通はこうしない?」
くらいのことでさえ、期待してはいけないのでしょうか。「そう期待するのも傲慢だ」と多くの人が言いますが、誰が何と言おうと、ぼくは人に(少なくとも最低限の)期待をすることを諦めたくはありません。

 期待するのは、別に、諦めなくてもいいけど。その期待を「最低限の思いやりがや想像力があったら、普通はこうしない?」と押し付ける。そこでしょ。
 ひっくり返すと「最低限の思いやりや想像力がないから、こうしないあなたは普通でない」になりますね。いや、ひっくり返しただけですよ。別に、久保くんが、自分でこしらえた「最低限」「普通」を盾にして、他人を異常者扱いしていているとは、言ってません。ただ、「久保くんは、自分の想定にないものに対して『最低限の思いやりや想像力がない』『普通じゃない』と思うんだな」と誰かが思っても不思議じゃないですね。

「最低限の思いやりや想像力があったら、普通はこうしない?」
「最低限の思いやりや想像力があったら、普通はこうしない」
「普通はこうしない。最低限の思いやりや想像力があるなら」
「なぜこうした。最低限の思いやりや想像力があったら、普通はこうしない。こうするのは、最低限の思いやりや想像力がないからだ」
「こうしたお前は普通でない。最低限の思いやりや想像力がない」

 ここまでこれば、宗教者とDV男にジョブチェンジできます。

「こうしてしまったあなたは悪魔の申し子ですけど、僕の思う『最低限の思いやりや想像力』さえ持てば人の子になれますよ」
「お前は異常。お前は人間のクズ。下の存在だ。もちろん俺は教育するで? 拳で」

 このように読むことは、普通ですか?



学生団体、日本一周、インターンシップ、プログラミング、起業……。何かでかいことをやろうと思って、今まで色々なことに挑戦しようとしてきた。でも、目標が高すぎる上に自分が未熟すぎて何もうまくいかなかった。
うまくいかなくても、「いや、ここで諦めちゃダメだ。漫画とかでも諦めちゃダメって言ってるじゃないか。頑張れ久保崇史!」と思って何度か歯を食いしばったけど、ある程度やってみると現実が見えてきて、「あ、やっぱこれ無理ゲーだわ」と気づいた瞬間諦める。それを繰り返して来た。
でもぼくはそんな自分を情けないとはあまり思っていなくて、むしろ全部賢明な判断だったと思う。
「諦めなければ夢は叶う」というのは幻想だとぼくは思っていて、それは何故かというと、大抵の人はまず頑張ることができないからだ。しかも才能もなければ、いくら猪突猛進したって滑稽なだけだ。そういうのをたぶん愚直と言うんだと思う。
無責任な誰かの綺麗ごとを信じてムダに頑張る人が大勢いる。でもそうではなくて、自分が頑張れる領域、それも才能が活かせる領域で努力する。まずはその領域を探す努力をする。それが成功する方法だと思う。
この記事のタイトルには少しひっかけをしてある。正確に言うなら、「人生(を成功させようと思ったら、頑張っても上手くいかない領域で成功することの)諦めが肝心」だ。人生そのものは当然、諦めちゃいけない。
ようやく最近、自分の才能が活かせてしかも頑張れる領域を見つけた。学生生活の最後に、なんとか大逆転をしたい。

「久保くん! 愚直してる! SAVEに全然才能活かせてないよ! 小説全然才能ないよ! なんにも才能がないよ! 今すぐ諦めたほうがいいよ!」
 と、言われたとき、久保くんがなんと言うかと想像すると、「才能はある、技術もこれから身につきクオリティはあがっていく」「自分が頑張れることが大事、努力できることも才能のひとつ」「お前は馬鹿、見る目がない」「いちいち人のすることに難癖つけるな」とかだろうか。それ以外のもっと論理的で正しく妥当な言葉だろうか。
 まあなんにせよ、なにか言い返すわけですよ。
 その言葉。
 その言い返した言葉って、「無責任な誰かの綺麗事を信じてムダに頑張る人」たちも言っているんじゃない?
 
 成功と失敗、賢明と愚直、才能と努力。
 そういうの関係なしに。
 人のやってることをムダと言い放つのは、ウケるね。


後ろ向きな気持ちでやめるのはよくないと思いますが、やりたいことを見つけたなどで前向きに辞めるのであれば、「中退したなんて中途半端なやつだね」と決めつけてしまう人の方が浅はかだなぁと思います。

 「決めつけてしまう人」は、そりゃあ、浅はかでは?
 「中退したなんて中途半端なやつだね」がどこから来たのか気になるなあ。久保くんが言われたことなのかな? それとも久保くんの「普通」の中からかな?

 ちなみに、久保くんの中退者インタビュー記事の前書きに「あ、決して退学や休学を勧める記事ではないので、「この記事を読んで退学しました!」とか言われても責任はとれないですよ!!」とあるのですが、退学や休学を勧める記事であっても責任はとれない(とらなくていい)と思うぞ。「退学や休学を勧める記事」と「責任がとれる/とれない」は全く別の話。インタビュー相手が「自分の人生に責任が持てるのは自分だけ」と言っているのですが、久保くんそう思わないのかな? それとも、これは間違いだーと思いながら太字にしたのかな? インタビュアーというのは大変な立場ですね。


2017/11/17 ボジョレー解禁まであと364日くらい

 飲んだことのあるワインは4銘柄程度で、どれも割りと、好き。
 それでも「いや~自分なんて子供舌なもんで~赤玉最高~」という謎の卑下があってワインは敬遠してきたのですが、飲むたび、ああ、こういうものがワインなのか、と思う。超うまい凄い待って死ぬ、みたいな感想は言えないし、美味しいか美味しくないのかもよく分かってない。けど好き。開拓者が「Whatを意味する言葉」を知るため作った意味不明な絵を見せられた原住民みたいな気分になる。なにこれ知らないって。
 当たり前だけど、日本酒やウィスキーはワインじゃないから、しょっちゅう焼酎を飲んでいも、ワインへの理解はなかった。
 いまはワインの大まかな輪郭が分かってきて、この形いいな、と思っているところ。

 モノホンとぜんぜん違うモナリザの模写を見たとき美しいと思うなら、その生じる感じが既知の大本のモナリザ(ダヴィンチ王仁三郎)を想起しての感じなのか、その絵そのものの輪郭の美しさを感じているのか、なのか、分からん。自分がワインの大まかな輪郭を見て、どっちかと言ったら、どっちでもある気がする。ちょっと後者っぽいけど。嬉しい。
 僕がいま知ってる輪郭は、目とか手とか、ほんの一部で。その一部でさえ、大まか。それが嬉しい。さらに知るだろうことが予想され嬉しい。

 ソクラテスでないからか、寡知の知くらいでないと、知ウケる! とならない。そのうえ、尋ね回ったりもしない。勿体無い、と自分で思う。


2017/11/16 久保崇史のFacebook

 飽きた。
 「自分の頭で考えよう」という言葉に「200%同意!」してたのがめちゃ面白かったのですが、飽きました。
 僕は久保くんの成長を願ってやまないのですが頭無い人から心無い発言を受けて心が荒むような思いがいたします。


2017/11/15 久保崇史のツイッター上のやりとり

 久保くんウォッチ楽しい。
 今日はくぼっち(久保崇史の創作用Twitterアカウント)のやりとりを紹介したいと思います。

○久保「それになんでみんな異世界とラノベばっかりなんだよ!!!9割そうじゃん!純文学っぽいの書いてる人もいないことないけどめちゃくちゃレアだからファンつかないじゃん!ぼくのみたいなクソ真面目な小説、いくらちゃんと書いたってほとんど誰も読んでくれないじゃん!

 まずこれが発端の発言。作品の質に見合うほど読者がいない、作者や作品ではなく読者に落ち度がある、この世は間違っている、というような感情が伺える。


□相手『お悩みですね。 実は僕も密かにそのような悩みを抱えていた時期がありました。 ラノベのどこが面白いのかと(^_^; 実際に需要の問題なんですよね。 でも、やっぱり僕は純文学を書くのが好きなんですよね。』

 その「ジャンル」の読者自体が少ない、読む人は少ないけど自分が書きたいのだから書くという話。


○久保「純文学を書かれているのですね。 失礼なことを申し上げて良いでしょうか? 固定ツイートを拝見したのですが、100リツイートもされていて、1つもコメントがないですよね…。 つまり、みんな機嫌取りのためにリツイートはしますが、実質読んでいる人はいない…それが問題だと思うんです。」

 失礼。
 失礼なことを申し上げるのは、失礼に値する。
 リツイートした100人を「機嫌取りのため」と勝手に想像し、「読んでいる人はいない」と言い、問題扱いする。実質ってなんだよ。読んだけどコメントしない人はみな読んでないのかよ。


□相手『ええ、その通りです。それは自覚しています。 なるほど、他人が読まないことが問題だということですね。 それでは「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざをご存知でしょうか?』

 失礼を無視してあげる優しさ。この諺はイギリスの諺で、アドラー心理学でよく引き出されるよう。本人のプロフィール欄にも、やりとりの最後にもアドラーが出てくる。


○久保「すみません、こちらの返信を見落としておりました。 そのことわざは知らなかったですが、言いたいことは分かっているつもりです。 ただTwitterの読書アカウントやタグというのは、馬が水辺にたくさん来るくせに実は味見すらしていないという状況になっているのではないか、という主張です。」

 「こちら」とはこれのこと。これは置いとく(あとで取りに来ない)。
 諺の意味を理解できてないし、それを分からないと自覚した上で、調べない。
 たとえにたとえで返しているだけであって、
「馬を水辺に連れてっても飲まないさ~」
「自分が馬を水辺に連れてきたわけでもなく、向こうから来てるのに、飲むどころか味見程度もしてないさ~」
「「馬が干からびるさ~」」
 と言う風に、会話は一致しているとも言える。しかし後記によると、そんなつもりもないよう。 


□相手『どうやら誤解をしてしまっているようですね。 このことわざは久保さんの考えているような意味ではありません。 これは「あなたが水を提供したとしても、それを受け取るかは他者の課題であり、あなたの関わるべき課題ではない」ということを示しています。』

 まあ、そりゃそうわな……。
 他ジャンルばかりで自作が読まれない、リツイートされても読まれない、読んだとしても感想をくれない、という主張を諌める言葉ですね。
「なんでオメーを忖度せにゃイカンのか」って話ですよ。
 まあそういうと「忖度しない=想像力がない! 想像力がないのは人間として終わり! 人間未満! 閉廷!」で勝訴の紙持って走り出のかな?


○久保「確かに誤解してしまっていました、すみません。 でも結局、ぼくの主張はそれほどずれていないのではないでしょうか?」

 主張というのは「タグ付けなどしてリツイートされているが実際は誰にも読まれていない」のことかな?
 発端の「あるジャンルの創作者と読者が多数を占め、そのジャンルではない自分の作品が読まれていない」もありそう。
 「実力=人気と言えなくなっている」ってやつかな? ""実""の力ならあるのに!ってか。鈴木先生の選挙編をもう一度読んで欲しい。人気についても、実力についても、もう一度(一度くらいは)考えて欲しい。西くんには人気があったのか実力があったのかどっちもイーブンにあったのか、生徒にとっての生徒会長、あるいは選挙の仕組み、あるいは死に票について考えてもらいたい(嫌です)。

 もしかして発端の直前の「どれだけ大勢の人が、自分の作品を読んでほしいがために「RTした人の小説を読みに行く」というタグをRTしている「だけ」であるかが分かる。 大体、そんなリツイートを連発する人のタイムラインなんて面白いわけがないんだから、いくらリツイートされたって実質的には読まれないってことじゃん!」が久保くんの大事にしている主張なるものかな?
 それは、「まあ、そうだね」「そうかもね」っていう前提の話で、議論の余地があるのはその後の、
「リツイートを連発する人はなんのために?」
「どんな方法なら読まれるか?」
「なぜ読まれたいと思うのか?」
「あなたの作品は読まれる価値があるのか? 読むか読まぬかの判断を読む前にしてはイカンのか?」
 さらには
「タグは誰にどのような影響を与えるか?」
「人気やコネは実力に劣るか? また、実力には含まれないのか?」
「自分大好きすぎない?」
「価値があることは読まれることや読んだあとの満足を保証するか?」
 があって、それもまた同じように話を深められるし、その真偽や善悪を検討しても考えてもいい。もちろんそれ以外の切り口もある。「馬鹿にし講座:つまらないツイートばかりしている人の楽しみ方について」みたいなね。

 もし前提の「リツイートされた程度で自分の作品は読まれない」から続く、議論の余地に対して「それは私の主張するものではない」と言ったら、まあ、前提しかない、なにも考えてない人になっちゃいますよね。
 いやまさか! 「考えろ」 そう1日に10回唱えられる人は、立派な人間になれると思う。と言っている久保くんがまさか考えてないわけが! 考えろと唱えると立派な人間になれると主張する久保くんに限ってそんな! 久保くんが求めているものが新しい理解や深い考えではなく、自分への同意だなんてまさか! 浅羽先生や武富先生の言葉を納得できないと言って切り捨て、その言葉の内を考えないだなんてあるわけがない!


□相手『いいえ、全然違います。 これが具体的に示すのは「読者が久保さんの小説を読むか読まないかは、読者の課題であって、久保さんの課題ではないということ」です。 つまり、読者が読むかどうかは久保さんの気にするべきことではないということです。』

 うむうむ真っ当。とはいえ気にしてもいいとは思う。たくさんの人に読まれたい、褒められた感想を貰いたい、作品の質をあげたいと望むのももっともでしょうね。


○久保「ちょっとよく分からないので、この話からは降ろさせてください…。すみません。」

 ちょっとよく分からないので、この話からは降ろさせてください……。すみません。
 まるで、
 会話する気がない、話を理解する気がない、
 会話する価値がない、話を理解できる頭がない、
 自分の主張だけ聞いて頷く首振り人間が欲しい、
 自分の主張こそが最上で唯一の正答である、
 って言っているみたいだなあ。
「弁護側、なにか反論はありますか?」
「ちょっとよく分からないので、この話からは降ろさせてください……」
「被告人、死刑!」
「すみません」

□相手『それじゃあ最後に一つだけ。 『嫌われる勇気』を読んでみましょう。 これはアドラー心理学について詳しく書かれた本です。 きっと久保さんに足りないものを補ってくれるはずです。』

 親切。


○久保「嫌です。 この話においてぼくにたぶん落ち度はないし、よく知らない人に足りないと言われたのも尺なので…」

 不覚にもワロタ
 失礼な発言。
 落ち度(誤り)がないので、足りないと言うほうが間違いなのだろうなあ。
 あっ。相手に嫌われる勇気があるのか確かめたのかな?


□相手『それは申し訳ございませんでした。 ならばあとは久保さんの意思にお任せします。 どうか久保さんの望みが叶うことをお祈り申し上げます。』
○久保「ありがとうございます。」

 相手は「水辺まで連れてきたのに、飲まない馬なんだな。干からびるな」と思ったろうね。
 親切心で殺すって言葉を知らないのかな?
 お前のママじゃないから0から100まで付き合わないし頷き人形やドレンになりたくはない、ってことなんだけど。
 殺意を持ったのが優しい相手でよかったよかった。拳で殺す人もいるから。

 YGKBerで行われたKのSさんの言葉を思い出す。
 久保くん、一生、無理解に不満を募らせ続けるんかなあ。僕もお祈り申し上げます。


2017/11/14 水形明月と久保崇史のツイートの共通点

 こんどは作者像ではなく、本人編です。
 もちろんこれも僕の想像です。
 何千のツイートからたった1つのツイートを抜き出し表面的に受け取っているだけなので""本当""の彼ら像と異なる可能性が極めて高いです。

○世界に影響を与えたい
久保
> もちろん戦うことは必要だ。でたらめでもいいから、自分の考えを信じて対決していけば、そうすりゃ、世界が変わる。
水形
世界が暗くとも、世界を皇帝が支配していようとも、僕はその皇帝から売られたケンカに勝たなければならない。それは僕の文学で世界を支配することだ。

 久保くんの「世界を変えるというテーマ」は、少し聞いただけで判断されたくはないと思う程度にはこみいったものであるようなので、ツイートひとつから判断するのは、彼の""本当の""意見とは異なるものになるだろう。ここはあくまで「戦うんだあ」「でたらめでもいいんだあ」「両者が世界を相手取っているんだなあ」くらいに留めよう。
 水形の作品には『皇帝』という作品があるのですが、作中では皇帝は迫害される側でしたので、関係ないですね。「皇帝なんかと仲良くしてるのかよ。だっせー」なんてセリフがあります。


○女性の髪
久保
> さらに冷静に考えてみると、初恋の人はもう金髪になってて住む世界が違うから無理だとすっぱり諦めてたけど、大学終われば就職で真面目に生きなきゃいけないわけで、大人になってからの恋なんてありふれてるし、成人してから近づいてきちんとアプローチすれば全然可能性あるじゃん!!!マジか!!
水形
> Iさんは素敵な人だった。 でも会わなくなった。数回しか会っていない。 紛失した本の件を謝った。 もう彼女もきっと体験を済ませて髪でも染めたのではあるまいか。 意味なし 私の人生は意味なし

 久保くんのツイートからは「自分の住む世界は真面目であり、彼女は真面目でなくなり、就職をしたのならば自分の住む世界に戻ってくる。金髪は真面目でない証拠」と読み取れる。
 水形のツイートからは、「処女=黒髪」と読み取れる。
 いずれも髪の色が違う人は住んでいる世界が違うと認識しているように思える。


○明治大学生
久保
明治大学4年生。文章を書くことが大好きで、本気で小説を書いています。
水形
> 三島も芥川も太宰も夏目も、自殺したり精神障害になったりしているけど、成績が良く真面目なところがあったから精神障害になったり自殺したりしたのではないか。私も超一流大学ではないけど、明治に通ってたし。真面目を捨てよう。

 単なる事実の羅列。


○本来/本当
久保
> ゲイネタって基本的に笑わないようにしてるけど、これは面白い
> ぼくはまだ何も政治を勉強していないから勝手なことは本来言えない。けど、何もわからないぼくが今の時点で感じたことをつぶやこう。
水形
> 統合失調症はペルソナ(表向きの自分)と影(シャドウ 本当の自分)のアンバランスから起こってくるとか。本当の自分はネクラでオタクなアニメファンの僕だった。本当の自分を大事にしたい。

 「○○だけど本来××」という考えは非常に危うく思えます。板挟みというか、板引き裂かれというか……。

 痩せたいから食べないと思いながら、太ってもいいから食べたいと思うなら、食べるか食べないか、決めないといけません。片方の欲を満たすと、片方の欲が満たされません。不満を抱くことになります。どちらを選んでも不満があります。両方叶えようとするものに、食った後に吐く拒食症の人がいます。食べたものを吐く拒食症は、たくさん食べ過て吐く過食症とセットで発症することが多く、病根は同じという見方もあります。過食と拒食は合わせて摂食障害と呼ばれています。
 それで、痩せたいけど食べたいって思う人は多いですが、摂食障害にならない人もたくさんいるわけです。その理由はすぐ思いつくだけで3つあります。もっともっとあると思いますが。

 1つ目は止揚。食べると食べないを一挙に満足させる方法を発見することは、難しいです(僕には分かりません)。痩せたいと食べたいなら、脂肪吸引とか、足を切り落とすとか、霞を食うとか、胃にサナダムシを飼うとかが思いつきます。

 2つ目は許容。「食べても運動すれば太らないかもしれない」とか「今日の昼だけは食べちゃお」とか「明日からダイエットだ」とか、達成できる程度に条件を緩める方法です。一日二食にするとか、おかわりは8回までとか、週一でジムに行くとか、1cal食べるごとに100m歩くとか、実現可能なハードルまで下げることです。ハードルをどれだけ下げるかは、本人次第でしょう。

 3つ目は欲求の根源を見つけ、解決することです。食べたくないのは食卓を囲む家族が嫌いなことが理由かもしれません。家族との不和が解消されるとか、食事は一人でとるとか、そういうことが出来れば痩せたいと思わなくなるかもしれません。意中の人に好かれたくて太ったけれど、その人は、食べすぎて吐く人以外ならだれでも好きな人で、それに気づけば食べすぎなくなるかもしれません。けれどこれは、いじめられて捨てられた子犬が優しい人に優しく扱われ続けても警戒を続けるようなもので、簡単には「欲求捨~てた」とはいかないと思います。

 そして4つ目は解離です。これは、完全に精神疾患です。
 普段は○○と思う意識の蓋がふっとんで、顕在化した人格が××しまくる、という奴です。
 恋人に優しい自分でありたいが不満を募らせる人が解離して大暴れ、とか、働くことに疲れた人が解離して銃乱射、とか。そういった解決方法もあります。
 「現実は○○である」という固い蓋の中で煮詰まった「本当は××したい」気持ちが爆発する(僕の見解です)。

 前記した3つと比べ、解離は、肉体単位で見ると「○○と××」を一緒に叶えることに失敗しています。けれど本人にとっては違います。そこが精神疾患と呼ばれる所以でしょう。

 久保くんが精神疾患の初期症状とか、水形が何度も解離を起こしているとか、そういうことを言いたいわけではありません。
 久保くんのツイートの「勉強していない」という言葉には「自分の発言は誤りを含んでいるだろう」という謙虚さが見られます。
 水形のblog、Twitter、小説には解離という言葉は出てきません。
 僕が言いたいのは「板挟みってヤバ~い」ってことです。
 「自分」と「本当の自分」で自分をふたつに分けた時、どんな形であれ、心には板挟み/板引き裂きの負荷があるんじゃないかな? ということです。

 これはたとえですが。
 実際の自分は男子校に通って青春を失ったけど、本当の自分は共学校に通ってモテていたのに、
 とか。
 実際の自分は他人に考えが浅いと言われているけど、本当の自分は物事を深く考えて賢いのに、
 とか見ると、
 板挟まれてるな~~と思います。
 これはたとえですよ。


○一発逆転小説チャレンジ
久保
> ダメだマジで朝からずっと心が折れそうだ この小説で大逆転する計画は一年前から構想していたのにどうなるんだ これが売れなかったら、この1年が水泡に帰すだけじゃない、これから後がない 考えに考えて、この方法しかもう人生を進める手だてが無かったんだ 失敗したらどうすればいいんだ
水形
> 仕事をしてないから彼女ができないのかな。 金がないから? 統合失調症から回復する前にオープンで働けと? どうせ給料16.5万円くらいしかもらえないはず そんなんで彼女ができるのか 絶望的な未来を感じる
> 新人賞で華々しくデビューするのではなく、地道に努力していれば、年収520万円くらいだとしても、いい仕事の口が見つかるかもしれない。地味に行こう。本が五十万部売れて六千万円儲かるとかいう世界は、何か派手派手な感じがしないでもない。

 久保くんの、後がないということは、二の矢を持たなかったっていうことで、なかなかの緊張感なのではないでしょうか。今は指を放すとこなので、終わってから「後」を探せばいいんじゃない。
 矢を外すことを怖れて、ゼノンの矢みたいに結末を見ないんなら、ちょっとどうかなと思うけど。最初から水風呂に入るんでなくサウナで熱くなったあと入るように、泣き疲れたらよく眠れるように、きっと甲斐がありますよ。
 水形は、絶望的現実と希望的観測を行き来するのが、まるでジェットコースターのようで、見事な迫力があります。これも板挟みですね。


○小説に自信大
久保
> 読んだ1割ぐらいの人に「人生で最も影響を受けた小説です」って言ってもらえるぐらいの自信があるのに!!!!!!!
水形
> 何でデビューできないんだろ 意味不明 小説の出来は結構いいと思うんだけど 新人賞が取れないんだよね 下読みに落とされてるのかな 選考委員の作家自身は私の作品を読んでない可能性がある
> 全然新人賞の受賞のお知らせの電話が来ない。下読みが原稿落としてるんじゃないの? 下読みのセンスで落としていいのか? ま、人生はいいことなんて何もないと。苦痛な歳月がずっと続くと。

 自分だけ読んで自分がそう言ったら「10割の人がそう言った小説」だったろうにね。
 自分だけ読んで誰にも見せなかったら下読みのセンスのなさに思い当たることはなかったのにね。


○理解者がいない
久保
> ぜ……全部読んでくれた友達の評価が……微妙だった…… 嘘だろ…… 心が……折れる……
水形
誰も理解してくれる人はいない 小説も、何もかも ネット恋愛もくだらない

 高望みだったのかな?


○世俗的でない
久保
> そういえば、志田未来のファンってぼくみたいな純朴な人ばかりだと思ってたけど、意外と世俗的っぽく見える人が多かった
水形
分裂気質者は超俗的と言われるが、それはさなぎの状態だったのだ。 分裂気質者の人生は後半から幸せなものになると言われている。 つまり、この世は世俗的な(俗っぽい)基準しか通用しない。 林真理子氏のように、俗っぽい生き方を、私はするべきだ。

 久保君のツイートは純朴≠世俗とは言ってないから違うかな?(久保くんは多数派にアピールするし……)

○モテない
久保
> ひとつ確かに言えるのは……こんな理詰めな感じ方考え方をするぼくは、絶対に女性にモテない
水形
> バカに戻れば美意識が捨てられてまたモテ出すかも

 水形明言「モテない人はモテる モテる人はもてない


2017/11/11 水形明月と久保崇史の小説の共通点

 水形明月久保崇史
 両者とも「人格が現れている」ような作品に思えました。
 さらに、その「作品から見える人格」に重なる点があるように思えたので、羅列していきます。

○外見で判断
久保
> 同じ女子高生でも、現実の方は悲しくなるくらいブスばっか。彼女にしていいと思える可愛い人なんて、クラスに数人しかいない。アニメには絶対出てこないようなブスが現実にはどうしてあんなに多いのか、マジで意味が分からない。まぁ、ぼくも人のことは言えないけど、でも、ブスではない。
> ぼくたちのチームが惨敗までいっていないのは、橋本が強いからだった。太って重心が安定しているからなのか、ブレないフォームでものすごいスピードのボールを投げ、ストライクをバンバンとっていた。しかし素直に喜べないのは、そのたびに「イェーイ!」と高藤さんとぼくに向けてハイタッチの手を向けてくるからだ。「お前じゃねーんだよブス!」と心の中でツッコみながら、ぼくは愛想笑いでハイタッチを返さなければならなかった。
水形
> 私は何だか不幸になりそうな予感がした。私に最良の相手など現れないのだ。いつか出会った女はブス、ちょっと前に猛アタックしてきたのもブス、「第二候補にして」と言ってきた女もお年寄りだった。(お嬢様)
> ちなみに神様、今私の部屋に訪問に来ている福祉のスタッフはブスなので、付き合う気は全くありません。(blog)
> 僕とレドラは女にもてない(もててもブスと結婚する気はさらさらない)自分達の境遇を呪った。  どこかからいい女がここに来て性的奉仕をしてくれないかな、などという仕方のないことを話し合った。
> 話し方からすると三谷はきっと処女だろう。多分、多分処女だろう……

 人の外見に点数つけて美人だとかブスだとか言っている。
 そして、自分が勝手に点数をつけた相手に対して「彼女にしていい」とか「お前じゃねーんだよブス!」とか「付き合う気は全くありません」とか「ブスと結婚する気はさらさらない」とか言ってる。


○処女厨
久保
> ユウが「ヤッてるだろ。間違いなく」と断定するものだから、ぼくは「あの純粋な高藤さんがヤッてるわけないでしょ!」と必死に否定しなければならなかった。
> 「もし別れててもさ、もうヤッた後だったら付き合うの悩んじゃうよな」  タツヤが言い、「ヤッてないって!」とぼくが、「お前は悩む必要ないから安心しろ」とユウが突っ込んだ。
水形
> 「……ねえ、私、高橋君との関係は大事に育んでいきたいと思うの。だから――」 「僕らは一体どういう関係なの? まだ付き合ってるわけでもないし」 「だから、私と付き合ってくれる?」 「いいよ。ちなみに水守さんは処女?」(真鍮)
> 「あの子、処女じゃないような気がして」「いまどき二十五歳で処女なんていうほうが珍しいだろ」「はい……」「君は処女のほうがいいのか」「はい」「それならあの子はあきらめることだな。お互いに傷つく。君の処女がいいっていう気持ちはゆずれないものなんだろう?」「はい」
> 人生は有限だ。だから、処女でないとか、そういう理由から片瀬を返品するわけにはいかない。もう僕は人生の後半にさしかかっているのだ。そろそろ生涯の伴侶を決めたほうがいい。 片瀬でいい。なかなかすばらしい九十点くらいの女だ。僕は彼女と結婚することを空想した。(僕の二つの恋)

 処女は純粋。処女は「返品理由になりうる」。水形の方が過剰だけれど、でも根っこは同じだ。


○違法動画サイトを見る
久保
> いつもの無料動画サイトを立ち上げる。大好きな深夜アニメの第六話を再生した。著作権的に違法な動画だって分かってるけど、知ったこっちゃない。
水形
> youtubeの歌を聴きながら、ティーバッグを水出しにした紅茶を飲んでいる。youtubeの歌を小説を書くときに聴くと効率がよくなるのです。

 悪いけどする。悪いほうが間違っている。そういった感情があるのだろうなと思う。
 あるいは「みんなしているから構わない」か。


○センス
久保
> 愛田が、J-POPの曲の名前を言った。いま大流行中のドラマ主題歌だ。みんな、思わず「おお」と納得の声を出す。そう、愛田はこういうセンスは抜群なのだ。
水形
> 個性のある者にしかできないのが、こういう形態の喫茶店だよ。……細野君、きょう、そばの実の雑炊食べてく?

 大流行中のドラマの主題歌を提案した子に対して「センスは抜群」
 月500万払うようなパトロンが出来る喫茶店の料理:そばの実の雑炊が「個性的」
 流行曲にセンスがないと言いたいわけでない。体育祭の応援団の踊りを流行曲でやるのは普通だなと思う。あるいは素直だなとかひねくれてないなとかいい子だなとかそういう言葉を思いつく。
 そばの実の雑炊は、僕は食べたことないけれど、お金持ちが友達料として月500万を払うほどではないでしょう。(ちなみに他のメニューは、コーヒー、アイスコーヒー、ホットレモンティー、アイスレモンティー、トースト、シナモントースト、鶏ムネ肉のソテー・ナツメグ風味、バジルステーキ、ライス、三つ葉うどん、コーヒーケーキ、ゆでピーナツ、ミックスナッツ等)


○現実作品の援用
久保
> 今神が「鈴木先生」というタイトルの漫画を勧めてきた。「うちの担任と同じじゃん」なんて笑ったけど、一話を読んでみてとてつもない衝撃を受けた。
> 「金色のガッシュ!!」の、コルルのセリフを思い出す。   ──やさしい王様がいてくれたら、こんなつらい戦いは、しなくてよかったのかな?  そうだよね、コルル。やさしい王様さえいれば、世の中は平和になるんだよね。
水形
> 僕は西野カナやエグザイルに興味がない。 芸能・スポーツが嫌いだ。 文学やエヴァンゲリオン、中村由利子が好きだ。 それが分裂気質というものである。
> エヴァンゲリオンも、根本的には僕を救うことができなかった(アリス)

 小道具的に実在の作品名を出すものはあるけれど、「○○という作品が素晴らしい」というようなことを言う。読者が「それならそっち読むよ/見るよ」となるんじゃない?
 また久保くんの作品では、重松清『エイジ』のあらすじを説明して、(読んでないから知らないけどたぶん)オチまで言っている。
 それと、「うちの担任と同じじゃん」なんてのは、作者が同じ名前にしたからであって、白々しく思う。
 あと、作中の事件が、鈴木先生のバタフライナイフ事件を彷彿とさせるので、パクリだとか考えなしだと批判されることが想像される。


○作者の登場
久保
> 「あ、同じです! 歳は十七歳だけど、学校に行ってたら高校三年生。久保崇史って言います」
水形
> 僕は軽く手を振って、パソコンのある部屋に行った。 (なんとかしてこれを新人賞に…… ああ、でも僕はすでに金持ちなんだった。何のために小説を書くのやら……趣味だよね。特に入賞しなくてもいいわけか。ホームページに載せておくだけでもいいな)  その同じ瞬間、日本では同じように小説を書いている貧しい男が、コーラを激しく吐いていた。その背中をさする女はなく、彼の小説は一編も、新人賞に入賞する見込みはなさそうだった。

 久保くんの方では、作者名と同名の人物が登場する
(雰囲気が似ていると描写される。「ぼく達は、性別も年齢も、背丈も雰囲気も同じなのに、ぼくはこちら側にいて、久保君はあちら側にいた。」とあり、主人公と久保崇史が対比されている。対照実験のように「同じ」を強調する。『久保崇史』の鏡合わせの存在とするなら、主人公も『久保崇史』と見ることもできる)
 水形の方では、主人公は金持ちで幸福で趣味の執筆でも才覚を現している。それと対比されるこの男は誰なのかと考えると、水形ではないかと思う。この小説は地球ではない場所のアロンド王国が舞台なので、作中に一度も登場しない「地球」の「日本」の男を出すのは不自然に思える。アロンド王国の貧民街の男ではなくわざわざアロンド王国と日本を対比とした理由はなにかと考えると、架空世界(アロンド王国・フィクション)と現実の対比ではないか。ちなみに水形は貧しく、コーラが好きで、新人賞には一次通過さえしたことがない。
(フィクションに現実を持ち込んだのなら、現実も嘘になる。水形は「これは嘘の記述である」という前提がなければ現実を見れないと推察するのは安直な飛躍だろうか)


○下品・失礼
久保
> 手元を見ると、ハンカチで手を拭いていた。トイレに行ってたのか! 一瞬で股間がモッコリしたのが分かった。
> 土井が意外にもまともな服を来ているのが意外だったけど、ぼくの目は高藤さんに引き寄せられた。
水形
> 「拝啓 こんにちは。 あなたは前にも『初めての人になってください』と書きましたね? そして今回も」
> ベンチにいたのは、髪にリボンを結んだ女子高校生。スマホを操っている。かわいい顔をしていた。こんなかわいい少女を逃がす手があるだろうか?仕方なく、メッセージを書き、少女の座っているベンチの背後から近づいて、カバンに紙をしのばせた。メッセージの内容はこう。「はじめまして。四十一歳のおじさんです。お金も何もないけど、お金を渡したら犯罪ですよね。君は十八歳? もしそうならおじさんと付き合ってください。080‐××××‐×××× 桐田」よかった。少女は気付いていない。

 モッコリや意外を強調した土井disが霞むくらいの、水形のナチュラル。なにもかも怖すぎる。なにもかもやばいけど「仕方なく」ってなんだよ。そら精神病棟に強制入院だよ。


○他力本願
久保
> 子供が大人の心を分からないのは仕方ないさ。子供は未熟なんだから。だが、大人は子供の目線に立つ義務があるんだ。社会を全く知らない子供に、大人の世界がどういうルールや常識で回っているのか、噛み砕いて教えなければいけないんだ。そうしないから、子供は学歴が役立つ実感が持てず、必然的に勉強へのモチベーションが上がらない。
> ぼくはもっとぼくの話を聴いて欲しかったし、ぼくの想いや疑問に一旦は同調してほしかった。
> 「内気な土井さんは休み時間に教室で絵を描くことで誰かに話しかけられるのを期待していたのに、ぼくを含め全員が見て見ぬフリをした」
→「鈴木先生、どうして、土井さんが明らかにクラスで孤独な思いをしているのに何もしなかったんですか? たぶんそれが原因で不登校になった時期も、何もアプローチはしなかったんじゃないですか?」
→→「相談しなかったら、手を差し伸べなくていいんですか? 本当は相談したいのに内気なだけかもしれないし、先生の方から気づいてくれるのを待っていたかもしれないじゃないですか。そういう複雑な心理が分からないんですか?」
水形
> 「僕と友達でいてくれるなら、僕の持ってるお金の中から五億ロンドをあげるよ」 「五億ロンド?」 「家を建てるのに二億ロンド、一生分の生活費が三億ロンド」
> 「今月分ノオ金、持ッテキタヨ」
> 明日でもいい、役所から人が来て「生活保護を取り消します。働いてください。就職はあっせんします。税金を納めてください」と言ってほしい。

 身体も思考も金も環境も全て他人から与えられることが読み取れる。


○狂う
久保
> 俺さ、三ヶ月前から高藤と付き合ってんじゃん?」タツヤが暗い調子で言う。この話を聞いてもぼくが嫉妬で狂わないのは、「付き合ってる」というのが現実の話じゃないからだ。
> 帰ってから、ぼくは気が狂いそうな勢いでベッドにダイブした。うつぶせになり枕に顔をうずめる。すぐに涙が出てきた。   くそう、高藤さんにフラれた! あっさりと!
水形
> 僕は桐田光(きりたひかる)。四十一歳。統合失調症で生活保護を受けている。週五日、近所の精神障害者の集会所に通い、そこで時間を過ごしている。僕には恋人がいない。 

 勝手に狂いまくって水形の轍を踏みそう。
 友人に恋人が出来ると嫉妬……とあったので同性愛の話かと思ったくらい。なんで嫉妬に狂うんだよ。こんな奴でも恋人が出来ているのになぜ自分にはってことか?


 あと共通点ではないけどひとつ。
 久保くんの小説は、考えなかった人間が考えることを憶え成長するおだやかなのに力強い流れがあります。その考え始める前の段階で、主人公がなにも考えない人間であることを表現した、本当に適切な、本当に卓越した一文があるので紹介します。
 状況は、昼休みに屋上前の階段で友達ふたりとダベったあと、ノベルゲームを始めます。友人集まってノベルゲームをやるもんなんですね、みんな各々のゲーム機の画面を見ながら。もう面白い。
> ぼくたちがやっているソフトは中でも少し変わっていて、主人公が中学一年生から始まり三十歳になるまでプレイするという超長編ゲームだ。ぼくの主人公は今、中学三年生。クラスメイトの美少女二人に好かれていて、どちらを選ぶか決めるところだ。ぼくより少し先に進んでいるタツヤは黒髪の方を選んだらうまくいっているらしいから、ぼくも黒髪の方を選ぶことにした。

 ぼくより少し先に進んでいるタツヤは黒髪の方を選んだらうまくいっているらしいから、ぼくも黒髪の方を選ぶことにした。

 いや~これは本当に、本当に素晴らしいほどになにも考えてない。なにも考えてないうえに、なにも感じていない。「黒髪の方」とか「うまくいっている」とか「ことにした」とか、一個一個がもうメガトン級のバルカン級で、愚かさの火薬庫ですよこんなん。最高。久保くんの文才を軽んじていました。これは本当に稀有ですよ。最高! 最高!!!!1

 そして水形の慟哭にて〆

 希望が消えていった。
 年を経るごとに。
 中学時代はまだよかった。
 ファイナルファンタジーやドラゴンクエストをやっていた。
 でも、担任の策略により、男子高に進まされる。
 高校の屋上で、灰色の街を見ながら胸の痛みを、恋ができない胸の痛みを感じていた。
 どんどん状況は悪くなっていった。  そして四十一歳。まだ女を知らない。
 エヴァンゲリオンも、根本的には僕を救うことができなかった。
 僕を救うものは小説を書くことだけであるようだ。つまり、新人賞を取ること。
 でも、何もない人生だった。
 
 緑茶で健康が守れているのはいい。
 緑茶には抗酸化作用がある。抗酸化物質は病気のもとである体内の活性酸素を減らしてくれる。
 肥満だが、緑茶のおかげで身体病は何も発症しないでいる。
 抗精神病薬のオランザピンの副作用のせいもあり、肥満がなかなか解消できない。
 今から十八歳の処女と結婚しても、もう遅いような気がする。
 こっちはその頃にはもう四十三歳くらいになっている。
 消えた青春は戻ってこない。
 世界の全てが敵になっても、屋上付き三階建ての家を買い、十八歳のかわいい処女と結婚しなくては。
 失望。
 それが四十一歳の僕には待っていた。
 何もなかった若い時代は失望を結実した。
 なぜ自分の運命が悪くなるのかがわからなかった。
 青春が取り返せないのに今から頑張って十八歳のかわいい処女と結婚するというのか。
 それが最上の選択なのか。
 それはしょぼい。
 今から頑張っても青春は取り返せないというのか。
 それは何のための努力か。
 意味がない。
 痛みを覚える。
 精神病院は僕に暴行や虐待を加えたが、もちろん弁護士に裁判を依頼するだけの金はない。泣き寝入りだ。
 何の人生なのか、この不条理は何なのかが全くわからない。
 意味がない。
 人生に意味がない。

おまけ:僕が架空の久保くんを責め立てる文章 


2017/11/8 肉に肉巻いたものおいしい

 サルティンボッカというイタリア料理です。
 こないだ末次さんが作ってくれたもので、生ハムと叩いた肉くっつけたものを焼いた料理です。二種類くらいスパイスが使われていたはずですが忘れました。実みたいなのもありましたね。これ使ったらなんでもイタリア料理になると言ってましたけど……。
 で。家で作ってみました。スパイスはなしで、本当に、生ハムと肉をくっつけて焼いただけです。
 うまい!
 サルティンボッカは「口に飛び込む」という意味らしく、パクパク口に入ってくほどうまいからだそう。
 そのとおり!
 うまい!
 手法つかったらますますうまくなると思われるので、すごい。


2017/11/7 馬鹿にし

 僕はよく人を馬鹿にしたようなことを言います。
「○○が××なんですよ~」と人が言うと、
「へーあなたは○○を××だと思っているんですね?」
「えっ今、もしかして、○○が、え? ちょっとみなさん、傾聴! この人、○○が××だと思っている、そう言ったように聞こえたんですけど、これ、僕の聞き間違いじゃないですよね?」
「まああなたレベルなら○○は××でさえあれば満足でしょうね」
「○○が××!?」
「親が聞いたら泣きますよ」
「○○なのに××!?」
「Twitterで呟いたら1RT7ふぁぼくらい付きそう」
「○○が××だと思ってる自分が好きなんでしょ?」(最近好きなフレーズ。これを言われたら会話する気が失せるだろうなと思う)
「ためになりますね~。○○のときに、これは○○じゃなくてただの××だって思い込めばいいんでしょ?」
「××…ですって笑」
「えっ○○が?」
「えーっと(空中でなにか図を操作しながら小声で)○○が、こうなってこうなってえーここが……えー……××」
「○○が××だってYahoo!知恵袋に書いてたんですか?」
「○○が××だってWikipediaに書いてたんですか?」
「○○が××だってYahoo!知恵袋に書いてましたっけ?」
「要出典」
「○○が××じゃなかったときってあります?」
「へ~」
「その心は?」
「あーそういう諺ありましたよね」
「○○の壁って新書出せますよ」
「冗談が上手いっすね~」
「…………なるほど!(空返事)」
「このお調子者~」
 などです。これくらいならパッと思いついてしまいます。実際には動きやイントネーションや目線や(暗黒微笑)が加わり、ますます腹立たしい感じになると思います。

 馬鹿にしている、とは、まあ、思います。
 

 僕は以前、「なぜ僕は人を馬鹿にするのか」と考えた時があります(オザ期で言うと、ランタンがはじまる前後)。
 そのときはだいたい以下のようなことを考えてました。
「馬鹿にされると不愉快が生じる。
 不愉快が生じるのが問題であって、不愉快さが生じない『馬鹿にし』ならば、それは『馬鹿にし』とは見なされない。『馬鹿にし』とは異なったものとして解釈される。
 さらに僕には、『馬鹿にし』による不愉快とは違った、言動以外の不愉快も与えているに違いない。
 言葉だけでなく、意図せぬ不愉快を減らして、どれだけ真人間ぽく振る舞えるか試してみよう。真人間ぽく振る舞って『不愉快』を一切排除しよう。
 自然、『馬鹿にし』も排除されよう」
 要するに「真人間になろう。それは無理だとしても真人間ぽく振る舞おう」というよーなことを結論にしました。これ自体は18からずっとですけど。
 だもんで「よし、意図しよう!」と努力的なことをしていました。自分自身の行動をちくいち省みたり、他人の話から次やその次の会話を想像してそこへ持っていったり、視点が一点に止まったらそこにあるものを俎上に出したり。答えを探すものになればあらゆることがヒントになる感覚は新鮮でした。僅かな振動で周囲を察知する蜘蛛のように、糸してました。

 まあ今でも努力中ですが、まあまあ外の感じは分かるようになってます。
 当たり障りないことを言えるようになったし、「この人は当たり障りたい人だな」「当たり障るほど喜ぶ人だ。無限に当たり障ったれ」「こいつには感情も人権もない」「こいつを不幸にしても悲しむ人間はいない」「いま殺したろか」と、なんとなく、判断できるよーになってきました。
 ただ思っているだけでなく、バーテンとかいうのを半年強やってたのが大きいです。バーテンの立ち位置が、そのような客観的視点を要請するんですよね。立場というより、本当に、位置そのものが。
 相手はたいてい初対面で、そーいうときこそ相手を見ること・知ることが大事なんですよね。外人も多くって、ホントに言語未満のやりとりが必要としました(英語できないので。n?は疑問を意味する英語)。
 バーテン中に「カイゼンテン」を探して→実地して→あるいは出来なかったりして→またカイゼンしてというのがいいサイクルになっていたように思えます。完全に職業支援ですよ。

 それで。
 えっと、人を馬鹿にしないことを覚えたのですが、馬鹿にしている方が楽しいなと思い、馬鹿にしまくっています。
 いや、馬鹿にしているわけじゃないんだけど……、いや、馬鹿にしているんだけど……なんというか……違うよな違くないよーな……(続く)。


2017/11/4 「あなたのために祈らせて下さい」

 と言う人がいます。モルモンの宣教師とかね。
 祈らせて下さい。
 あるいは、あなたのために祈っています、という言葉。
 この言葉を聞くと、自分が祈られていることに気付きます。
 実際には祈っていないときには、自分が祈られていると錯覚することが出来ます。
 祈る人、祈られていると思う人には、祈りは、多大な効果が見込めます。
 しかし、祈られていることそれだけではなんの意味も、本当に、まったく意味がないように思えます。
 祈るということは、気にかけるということにとれます。
「あなたを気にかけています」
 祈るということは、幸せであって欲しいと願うことにとれます。
「あなたが幸せでありますように」
 祈るということは、あなたの大切に思う、あなたの人生に参加したい、あなたのことを考えているということにもとれます。
 それらを伝えることが「祈らせて下さい」「祈っています」という言葉にはあります。
 様々な「伝えきれないほどの思い」があったら、たまにはそれを、言葉を尽くして言ってみてもいいんじゃないでしょうか。言葉を尽くすと、誤解は減るでしょう。


2017/11/2 終わりかけた春

 書いた文章が消えて、完全に終わりかけた春って感じになった。

・彼女の死を意識しないようにしているよーに見える。否定語が多い
・一日、一年を人生にたとえることが多い
・・むしろ葬式は快晴
・・清少納言が「夏は昼」とか言ってたらザコ
・泥棒にものは預けないけど、銀行には預けるので、時間泥棒はやっぱりモモの時間銀行か
・・「銀行だと思って預けたのかもしれないけどそいつは泥棒だよ~預けないでよ~」という嘆き
・「なくすものさえまだなにもない」は、ちょっと分からない。ちょっと言葉にあらわせない。How can I sayって感じ。どーおー言ーえるーだろー。
・歌の中で時間が経っているだけに、時間が経ってない人が浮いてる(というか死んでる)
・強さ 関連楽曲『90%』『一日』
・人の中で生き続ける 『90%』『天才とは』
・潰す時間 『一日』『朝方』

・彼女の中にも「彼女の中で生き続けるあたし」がいたのだろうか。彼女が死んで、「彼女の中のあたし」はどうなったろう。預けた時間の中で生き続けているのだろうか。そうでも、そうじゃなくても同じように悲しい。むしろ、彼女の中にいると、彼女の存在を感じ続けてるのかもしれない。


2017/11/1 死/どうかしてたと言うならば

 終わりかけた春やラストデイばかり聴いているので、死をよく考えます。
 死。
 死にたくないなー。
 今死んでも看取ってくれる人いないし。
 黒井46億年には「だせえ」と言われるよーな生きかたですけど。
 生きる目的はないけれど、死ぬ理由もない。惰性deだせーですよ。

 iTunesを追加日で並べると、ラジオ・ノイズ・サンセット版の『昆虫人間』の次が、Amikaさんの『どうかしてたと言うならば』で、ちょっと笑っちゃいました。
 しりとりは同じ言葉を使っちゃいけないから、「じゃあもう二度としないでね」が意味深長になりますね。

 あと歌詞中では「どうかしていたと言うならば」であってタイトルの「どうかしてたと言うならば」ではないんですね。
 「あなた」は実は「どうかしてたよ」と言ってるので、びみょ~にズレがあるようにも聞こえる。

 ゴリラ・乱暴はヤバイ。
 コリラに乱暴されたらその日がラストデイですよ、ホントに。(あ、次がボーリングだから、ランボーなのかな?)


2017/10/31 終わりかけた春

 

 彼女はあれから時間泥棒に時間を預けて眠ってしまった体を捨てて生きていく箱の中にその殻を残して
 夏のあと秋が過ぎて冬になっても終わりかけた春に同じ日がやってくる
 桜の木は緑の葉を蓄えて枯れることなく光合成を続ける

 どんなに沈んだあたしでも息をすることに疲れてはいない
 触れようとすることをやめられない
 なくすものさえまだなにもない

 彼女はあれから時間泥棒にあたしたちを預けて眠ってしまった体を捨てて生きていく石の下に白い殻を残して
 いくら年が過ぎてさびしさが薄れても終わりかけた春に同じ日がやってくる
 割り切れない思いを切り捨てるのは強さなのか弱さなのかわからない

 どんなに落ち込んだあたしにものぼるべき階段ならすぐここにある
 潰す時間も何一つ無駄にならない
 あとはこの足を前に出すだけ

 彼女はあれから時間泥棒に時間を預けて眠ってしまった体を捨てて生きていくあたしたちの中に流れて
(Amika/終わりかけた春)

 文字にすると理解がはかどりますね。耳コピなので、間違っているかもしれません。
 「体を捨てて生きていく」がどこにかかっているのかが気になって改めたのですが、まあ「彼女」でしょう。

 人の中にある他者たち。
 彼らが困っているんじゃないかと思って。
 彼らの歌かと思ったのですが、ちょっと穿ちすぎでしたね。その見方も、捨てるには僕には惜しいですが。

 もしAmikaさんの歌詞精読会をするなら、抱き合わせの曲は、本命『How can I say』対抗馬『ラストデイ』次点『90%』かな……。


2017/10/30 雪が降る

 最近めっきり寒くなってきました。
 沖縄では「白い息」という言葉があります。沖縄が日本の首都なら、広辞苑にも載っているでしょう。意味は、寒くなると、息が白くなる、あれことです。沖縄ではわざわざ白い息とよんでいるんですよね。冬の一番寒い時期に、よーやく息が白くなったり、ならなかったりするんですよね。
「さむーい」
「白い息でるよ」
「はー……(角度を変えて優しく)はー……出ないやん!」
「嘘ぴょーんばーかばーか」
「こらー待てー」
 みたいな会話が沖縄のあちこちで行われるはずです、もう少し経つと。

 あと、もう少し経つと、子供の国のCMが流れるはずです。動物園と遊園地が混ざったような場所……だったかな? 行ったことないのですが、CMでよく見ました。「沖縄に雪が降る!」とかいう。実際は雪でもなんでもなくて、上下逆にした壊れたカキ氷機が、そこら中に氷を撒き散らすらしいです。
 沖縄に本物の雹が降ったことが、かつてあったらしいですね。七〇年前だったかな?
 僕は「太陽の活動が弱まる時期があり、地球に宇宙線が多く入り、多くの場所でオーロラが見えるようになり、雲ができやすくなり、地球全体がやや寒くなる」という話を信じているので、そろそろ、沖縄にも雹くらい降らないかなと思っています。いつまでもかき氷を雪だと思うのは、なんだか、なんだかなあという気がするので。

 僕は雪が好きです。今年も雪が降ると嬉しいですね。
 今年は台風が過ぎてから、季節がすっかり冬な気がするのですが、まだまだ秋でしょうね。小さい秋は吹っ飛んで行って、ちかごろ空が近い秋です。寒いから空気が縮こまってるんでしょうね。
 雪はいつでも降って欲しいです。夏でも、雪が降ると、いい感じの清涼になるでしょうし。自然のことをなにも考えてない人の言い分ですが。でも、できれば、降るならば真夜中に。

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