Na「対話しようよ」 Ku「やだよ人格批判されてムカつくこと言われるから」 Na「は? 自分はKoが『責められるから電話したくない』と言ったことに怒ってたじゃねーか。僕が君をばかにするんではなく忠告をしたいと思っているのに、君は僕の都合を考えずに、自分の都合を振りかざして自己正当化するつもりか。すると君が大事にしているのは行動の是非でなく君自身でないか。せっかくこの僕があなたの人格を批判して成長する機会を与えようとしているにもかかわらず拒否したと。成長の機会を逃した愚か者めと怒るか? それとも『そうして成長せず周りに迷惑を与え続ける災害のような存在として生きていけ、その一生は短いほどみんなは幸福になるだろう今すぐ外の暗闇に行け(実際には月の栄えに行く。月の栄えには地上にないほどの栄光がある)』と呪うか?」 Ku「……」 Na「君は、僕の発言で傷ついたと主張してるけどホント?」 Ku「ホント。謝れ」 Na「謝らない。その理由は、君がHaさんに対して『まるでTa先生みたいな』とたとえて、Haさんが傷ついたと主張したにも関わらず、『たとえだから』と言って謝らなかったので。  僕が君に言った『きみの友だちの作り方はDV男か宗教者のそれだ』と言ったけれど、これはたとえだから、君が傷ついたと言っても、これはたとえだから謝らなくて良いと思うのだけど」 Ku「問題はたとえであることではない。DV男や宗教者のような、『悪』の言葉に僕をたとえたことだ」 Na「そうか。君が、君とDV男と宗教者に共通するものに気付かないとは。想定外の愚かさ。謝りたいのだけれど、謝ると、君を非常に愚かな人間だと認めてしまうことになるぜ。その上、君とDV男と宗教者に共通することを知らないまま、愚かであるままに話が終わってしまうけれどそれでもいいか。いいなら謝るが」 Ku「共通点を言って」 Na「DV男は弱い女性を狙う。この弱いとは、相手の顔色を伺うとか、自分の主張を曲げるとか、意志がないとか、相手に尽くすと考えているとか、そういうこと。そういう女性を発見あるいは教育するのは、DV男特有の本能というのもあるかも知んないけど、もうひとつ確実な方法があって、それは片っ端から人を殴ること。殴ってみて、殴り返されたら『強い人』あるいは『弱いけれど戦う人』。これは除外。殴っても殴り返さない者のうち、いくらかは『強弱によらず戦わないと決めた人』。これも除外。残ったいくらかが『君より弱く、これ以上殴られたくない人』。君の殴りから逃れる方法けっこうあるけれど、その中で最もDV被害者になりやすいのが『私は殴られても仕方ないようなことをした。私に落ち度があった』と自分のせいにする人。そーいう人はDV男にとって都合がいい。なぜなら、殴るだけで支配できるから。殴るたびに従順になる。殴るだけで君に対して心を裂き、いずれは君の顔色と拳に左右されるだけの存在になるだろう。  宗教は、弱っている人間を引き込む。地方から来た都内に頼る者のない大学生や、身近に不幸があった人、貧しい人などは弱い人の代表だ。集団で人格批判して相手を弱らせてから『そんなあなたも私たちの宗教に入れば救われます』と言って入信させる方法もある。宗教者同士に生まれた子供も弱い。彼らは人間が最も弱い状態である赤ちゃんのころから教義を刷り込まれる。  翻って、君のやっていることはどうだ。Koさんに対して『オレの事情を考えろ』としか受け取れないような罵詈を言い放っていたではないか。君は、君の事情を考えない人間に怒りをおぼえている。怒りは恐怖を与え、恐怖が相手を支配する。もちろん支配されない人間はあなたから離れ、あなたの事情を汲み取る人間だけが残る。その残ったものたちが、あなたのいう友だちになる。極めて優しい人たちで、あなたに支配された友達だ。僕に対しても『投げ飛ばしたいほどムカつく』と言っていたけれど、これは腕力による暴力を匂わせている。僕がか弱く臆病で君に恐怖を持ったら、投げ飛ばされたくなくて、君を批判することはやめただろう。  神様の話は、君が自分を小川蘇美だと称したからってのが大きいけれど、そう外れてはいないだろう。神様には、神様の理屈がある(イスラム教が孤児を救済しているのは、ムハンマドが孤児だったからではなく、神がそう定めたからである。もし人の理で「ムハンマドは孤児だったから孤児に優しい宗教を作ったんだよ」と言うならば、イスラム教徒に対する非礼は計り知れない)。神の言葉を信じ行うのが人の仕事だ。君が神になれば、どれだけ破綻した行動をとっても、どれだけ矛盾した発言をしても、信者はそれにしたがう。信者を増やす方法は、DVと同じで、弱い者を探せばいい。つまり、君がしているように、他人に自分の理を押し付けること。しらみつぶしに押し付けること。あるいは他人の理を否定し自分の理をただ何度も早口で相手の理解が追いつかなくパンクするまでひたすら自分の理を押し付けるだけでいい。そうすれば相手は弱るし、そんな長話に付き合う優しい者は、従順に教義に従うだろうし、善人が信じる宗教になる。  そして、君が『相手の意見に従う人間』を求めていることは、君の作品を読めば分かる。登場人物たちはみな話せば理解してくれる、教えを乞うている。主人公は教師に対して『将来就きたい仕事をどうやって決めればいいのかとか、世の中にどんな問題があってどうやったら解決できるのかとか、ぼくたちは分からないことだらけなんです。数学の二次方程式とか古文の文法とかだけじゃなくて、そういうことを詳しく教えてくださいよ。教師なんだから!』と言う。作中で最も賢いとされる今神は主人公に『お前がもしも望むなら、俺は人助けをしようと思う』と思考放棄発言をする。愛田は『だったら、なんでその時言わないのよ! 言ってくれなきゃ分かんないじゃい!』と言い、言われたことに綽々と従う。登場人物たちはSOSを出し、SOSに気付かない周りを責める。  この作品で重要なのは安全な場所へと救うSAVE。手を差し伸べるHELPではない。差し伸べられた手を取るか取らぬかではなく、誰かに抱きかかえられて完全に安全な場所を保証する/されることを望んでいる。作品全体の低重奏になっている。作者の人格を現している。どれだけ頭からっぽになれば『ぼくより少し先に進んでいるタツヤは黒髪の方を選んだらうまくいっているらしいから、ぼくも黒髪の方を選ぶことにした。』なんて書けるんだよ」 Ku「HELPよりSAVEの方がいいじゃん」 Na「川であっぷあっぷしている子が見てSAVEしたら――無理やり抱きかかえて陸に連れて行ったら、あっぷあっぷしていた子が泣き出すかもしれない。それを見て君は怒るんだ。『助けてやったのに』って。でも溺れていたって思ったのは勘違いで、実は泳いでいたのかもしれないじゃないか。もしHELPなら――手を差し伸べるだけなら、その子は『手を取らない』という選択をして、自分の楽しい時間を損なわずにすんだ。『せっかく助けてやったのに泣くとはどういう了見だ』って怒鳴られることもなかった。君は、そうやって、無理解を重ねて人に不愉快を与えてないか?」 Ku「でも、もし本当に溺れていたらどうする。泳いでいるんじゃないかなと逡巡する一秒が生死を分けるかもしれないじゃないか」 Na「そういうこともあるかもしれない」 Ku「ほらみろ」 Na「じゃあ川にいる奴ら全員引き上げてやれよ。その内のひとりは人魚で、陸に上がったら死ぬかもしれないけど」 Ku「人魚なんていない」 Na「いる!(ヒートアップ)」 Na「まあいないとしても、お前が陸にあげたせいで、不幸になる人間が無数に発生するわけだろ。そっちの問題は、命の重さに比べれば誤差も同然だから気にしなくていいとでも言うか」 Ku「そうだ」 Na「そうか。そうして人を不幸にしていって、人の楽しい時間を邪魔して、迷惑をかけりゃいい。差し伸べた手を取らないことが、溺れているのか楽しい時間だから邪魔をするなの意思表示なのかわからないまま、とにかく胴に腕回して頭を脇にいれて密着してバタ足してればいい。自分には判断力がありませんと宣伝しながら、命を助ける快感に溺れるがいい」 Ku「そうしなければ助けられない命があるんだから恥ずべきことではない」 Na「武富先生の言葉を否定しているが、どうなの」 Ku「納得の行かない意見は納得が出来ない。誰が言ったかは関係がない」 Na「意見の内容はともかく、言った人間を比べれば――鈴木先生を描いた47歳の武富健治先生と、その半分も生きてない学生の君とでは、妥当性というか重みが違うと思うのだけど」 Ku「焦点は意見の正誤のみ」 Na「納得行かないと思っているのが君自身であることは、まあ、分かるよね。つまり、君の主観じゃんってことなんだけど」 Ku「言った人間ではなく、意見のみを客観的に判断すればいいでしょう」 Na「僕から見て、君の意見が間違っているという場合はどうなの。つまり僕の主観は君にとって客観なの?」 Ku「いや君の主観でしょ」 Na「あそう」 六時間くらい夜道を歩きながら独りごちてたのに忘れちった。 「また他人から悪行を行われる妄想をして妄想の中の登場人物に死ぬほどブチ切れる奴やった。10年後まで正常な精神を保っていられるのか楽しみだな〜」「たまにやってしまいますよね」