世界に親切201509-201609


2016/9/16魔法を信じ続けるかい?の間違え

もう、ずいぶん古い魔法を(もうすぐ古い魔法を)こっから出んだ(分かってんだ)熱上げたくらい(奴らが企む)同情の群れ(喉の震え)うん、そんなもんさ(嘘なもんさ)僕、大好き(物体好き)いいバカ連れ(今訪ね)音(外)心の暇で(心の日まで)自分自身を支える(自分自身の刺さる)


2016/9/09あの死んだYさんについて(追悼)

なにが世界に親切だという強い気持ち(諦め(類語:反省))。
あのとき僕が言った「背中を押す応援の言葉」は、以前の「NNKN殺す」と同じかなと思って考えを巡らせると、違う気もしたんですが、やっぱり同じDQN芸「なじり」でしょう(断定)。「見返そうと思って自殺するなんて、よっぽどいじめやすい奴なんだろな」と思うくらいなので、I'm DQNなので、必殺見返し怨念自殺は僕にあんまり効かない気がします(笑)。責任能力ないから自責攻撃がイマイチ響かない(こうかはいまひとつのようだ)。ただ、こうやって考えさせてくれただけ、死んだ甲斐があったのではないでしょうか(完全な煽り)。
失って初めてわかる大切さ……(涙)


2016/6/09 木 人間革命人間?

どうするんだろ?(他人事)
少なくともどうしたいかという理想はない。必要しかない(いい傾向と思えない(ので改善……というのもやっぱり必要))


2016/6/05 日 引っ越し人間?

近々遠くに行くつもりです(死ぬわけじゃないのでご安心)。あるいは、まあ、なにかどうにかなるかな、ならないかな、という気持ちです。どうするつもりなんだろうこの人……って感じ。他人だったら心配するのに、自分だと心配する気になれない、不思議、取り繕う気にもならない。健康だけには気を付けます。掃き溜めに人です。

村田紗耶香「コンビニ人間」は、サイコパス処女36歳がコンビニアルバイトを18年続け、(昨日のものと中身は違っているのに同じもののような顔して並べられるコンビニと社会を並べて見せ)、コンビニバイトで会得した「人間のふり」で人間らしく演ずるも、結婚するふりによって、コンビニをあっけなくやめてしまい、再び働こうと一般企業への面接を受ける日に立ち寄ったコンビニの乱れた陳列棚を見て、コンビニの声を聴き、自分自身全身がコンビニのためにあるんだと確信して、人間になるふりの結婚もやめ、コンビニ人間としての自分を肯定する。という、すごく面白い小説でした。ノリが違いますね最初っから。面白いなーっていう予感が最初からある。最初から面白い、というのかな? つまり全部面白くって、面白い小説でした。
喜怒哀楽のような人間の必須感情に「信仰」ってのがあって、その信仰を獲得できたんだなあ、と。自信、かな?
森川さんと話してるとなんだか、手に職をつけたがってるように思えて、これも「なにかひとつ」な技が欲しい、自信を持ちたい(=いまの自分に自信を持ってない)んじゃないかな、と思いました。あればいいな、くらいかな僕は。結局なにか自信があるわけではないので似てますが。
大人になりましょう。大人になりましょうよ。って感じです。自分の力でなるようなもんじゃないと思いますが、大人になりたいですね。

最近は将棋の動画ばっか見てます。誰もが凄い。

まとめると、どうにもならない人間なのでどうにかしよう、って感じかな。自分探し的にいったんどっか行く感じですかね。(聞いてどうする)


2016/2/12 木 聴歌会「hi-posi/あたしのSelect」

「あたしがニコニコ」したり「けむたがら」れたり「イライラ・ピリピリ」したりするのは「あたしのおかげ」で、「生まれてきた場所」とか「とき」とか「パパ」「ママ」は「わたしのSelect」なんだから、だれの「せい」でもなく「ぜんぶ引き受ける」っていう感じの歌。

hi-posi自体は「活動的で(ちょっと)大人な女」ってイメージがある。フェミニン。ガーリーならへなちょこかな? そんな遠くない。※
歌詞を上から見ていくと、「あたしがニコニコ」して「いい服着てる」のが「あたしのおかげ」なのは普通にわかるんですが、「けむたがれるの」も「あたしのおかげ」と言い切る。
だれの「せい」でもない、あたしのSelect、と、言ってる。ここだけでもう歌の内容全部出てるんですよね。
「せい」は原因を意味してて、原因は自分の外にはない。
かといって、「ニコニコ」も「イライラ」も、「せい」ではない。原因ではない。ニコニコもいい服も、結果だから。報酬、っていうのかな。イライラも報酬。
じゃあなにが原因かって言ったらそれは「あたしのSecelt」にある。もちろん両親を選ぶってのは無理なんだけど、その無理すらも自分で選んだことにする(※※本当に無理かはちょっと疑問)。「イライラはわたしのおかげ」以上の、なにコイツ感が出るけど、でも、選べないことも選んだ。世界の中心が自分にある、その認識を得るために「あたしのSelect」で決めてきた、と思うことが重要なんじゃない。実際、世界の中心は各々だと思うので。
そんで、「あたしの世界」の中では無理すら無理じゃないんだから、どんなことだって選べる。選んで失敗したり悲しんだり怒っても、ぜんぶ自己完結する。自己完結は、すごくいい意味で使ってる。人のせいにしない自己完結。見えない奴らの電磁波で感情をコントロールされる人の、真逆。自給自足?
しかも、他人が「ニコニコ」「イライラ」しても、それは「あたしのせい」ではない、他人のイライラは他人のSelectのせい、のはず。これは精神安定上すごくいい。もちろん自分で選んだからってなにもうまくいくわけじゃない。「イライラ」するけど、でも「あたしのSelect」からくる。川の上流から流れた水を自分の手ですくって飲むのと、川の上流から流れた水を新品のしびんですくって飲むの違いかな。もちろん新品のコップでもいいけど、手ですくって飲みたい場面は必ずある。っていうか全部手なのか。インド人みたいだ。
「ニコニコ」を他人のおかげにして「イライラ」を自分のせいにするなら聖人すぎる、逆なら自己愛高すぎる。全部自分ただそれだけ、と思う方が人の筍にあっている、と思う。等身大の理想、というか。
もちろん「生まれてきた場所」や「パパママ」を選びなおす、ということはもう過去だからできない。しかし将来、それと同じくらいの選択があって、その時に、自身に選択の制限がないというのは、力になるかと思う。というか制限があれば力は萎えていくと思う。想像力とか。猫や鳥に国境があったら、つまらないよね。ゲームかよ。

たしか高校のときに保健の授業で「消極的選択」という言葉を習った。他の科目では習いようがないから、たぶん保健体育だったと思う。AをするかBをするか迷ってどちらもしなければ、第三の「どちらも選ばない」という選択・つまり消極的選択をしたことになる、ってやつ。いじめを見てるだけで止めない人も、いじめに加担してる、みたいな話とからめていた気がする。消極的選択って言葉で、責任という言葉の「感触」を知った覚えがある。感触を知っただけで、それを持とうとは思わなかったけれど。

以前、S靴さんにこの歌の話を軽くしたら「女の歌だ!」と切り捨てて、笑った。


※ガーリー
作詞・作曲・歌のもりばやしみほは現在「ガーリー風水アドバイザー MIREY」なので、こっちもガーリーか。

※本当に無理かはちょっと疑問
もし無理なら、あたしのSelectがまったく嘘つきになってしまうし、全部引き受けるのも大言壮語になる。実際に選べるのかもしれない。スピリチュアルで「自分の名前は自分の天命のヒント」とあったけど、あれも「(前世の)あたしのSelect」だよなあ。でも「前世のSelect」でも「現世のSelect」でも同じかもしれない。チャネリングっていうか、前も今も同一性があるなら。スピリチュアルだとしても、もりばやしみほは那覇市~占い師~やってるし~。


面白性格

 性格などない、って言ったのは誰だったか忘れちゃったけど、確かそうだと思う。親しい人には冗談を言って、初対面の人にはうわべな感じで、とか。状況次第だし、状況に応じられないと、困る。KYだし、生きてない感じする。(いつも同じこと言う村人みたいな?)
 性格、っての、美醜並みに実存を疑える。有無自体がそもそもない、のか、確固としてあるわけではない、のか、そこはどうかな。傾向はあるかもしんないし、相手が同じならいつもこういう態度、っていうんなら、そこだけで見れば性格が固定されているっぽい。性格っていうよりキャラかな。似たようなもんだけど、キャラは演じ分けられても、性格はどうだろう。気持ちを切り替えるとは言うけど、切り替わるかな。ガムを噛むとリラックスするらしいけど。
 あたりまえだけど、僕は沖縄に戻る(あるいは行く)と、「サトウキビ畑に米兵が隠れてる! いや、違った、土だ」なんて言いませんからね。
 外国に出ると日本人、日本にいると沖縄人、沖縄にいると○○町人、家にいると末っ子、兄といると弟、学校にいると生徒、教会にいると悪魔の子って言われるのと同じで、変わってく。もちろん、変わってるのは身体ではなくって、脳。あるいは脳も変わってないのかな? クオリアハ体験!
 んで、性格。がない。のは、どうだろう。性格に限らないのだけど、性格って、過去を振り返ったときに初めて現れるんじゃない? 「小っちゃい頃は暗かったな」とか。それって「一人でいることが多かったな」とか「本が好きだったな」とか「骨折して入院してたな」とか、言い換えられるんじゃないの。「昔暗かったということはつまり今は暗くない~つまり今のあなたは明るい人間であるという意味を示唆しており~」ってだけでは? 自慢とかじゃなくて、話の起伏程度の。イントネーションレベルの小さな印象の。
 人と話している間、性格がどうとか考えない。考えるのは布団の中とか、鏡で自分の目を見ているときとか、日記をつけているときとか、そういう考えモードのときだけ。
 「だから無我の時に出てくる、地、っていうか、素が性格じゃないの?」とも一瞬思うけど、素ってのもなあ。気の置けない仲だとしても、気は自分の中に置くもんだし。演技じゃないけど、「ここでフォローしないとな」とか「このあたりで冗談かましとくか」とか「さすが~」とか、いろいろ思う自分がまずあって、そっからじゃないかな。その司令塔が性格?
 性格があるかないかの理屈は↑で全然できてないけど、ないって前提で行くと、「これが自分の性格だ」って思うのは、あきらめる言い訳になってるよな、と思う。んで、普通に人から「あきらめる言い訳に性格っていう言葉を使ってるよ」って言われても、性格が不変なものだと思っていたら、「これが自分の性格だから!」って開き直りになって、聞く耳もたなそう。
 ってのを、統合失調症42歳童貞小説家志望&ハゲ&デブの小説を読んで思った。彼の小説では「自分がイケメンだと気付かなかった。人が言ってくれなかったから。なぜなら男子校出身なので男は男にイケメンと褒めないから。男子校に行ったのは両親と教師のせいで。。。」と言い訳が続く。この「イケメンだと気付かなかったが人に言われて初認識」って流れが100%出てくる。どの小説にも出てくる。お約束になってる。飼ってたインコが死んでしまうのと、作家になって大成功するのと、金持ちの基準が三階建ての一軒家を持ってるかどうか以上にお約束になってる。
 んで、「実はイケメン」だけじゃなく、「面白いと人に言われて初めて自分が面白い人間だと気付いた」ってのが出てきて、ちょっと考えた。「面白い人間」っての。
「面白人間」といえば、面白いことを言おうとして全然面白くない人に皮肉を込めていう意味でよく使われていまして、Zさんの「面白い発言」で僕が「面白い」と思って、爆笑しても、その面白さはZさんの意図したものじゃない、ですよね。すべり芸ともちょっと違ってて、なんっていうのかな、大人になりたいと思うのは子供、っていうか、彼氏とかれぴっぴくらい違うと思う。僕の中でZさんは「面白人間」ではあるけど「面白い人間」ではない、かつ、「Zさんは自分を面白い人間だと気負いしていないし、面白いかどうかは些事だと思っている」だろうな、と想像している。面白いことを言えたときもあれば、すべっちゃうときもあるよな、くらいだと思う。そんな笑いに命かけてない。自然体、っていうかさ。
 Trustさんは本当に自分のことを「顔が整いすぎて特徴がない」と思っていたなあ。あれもあれでいいもんだったよ。たとえどんなにブス相手でも、好きな人ならブスって言わないしね。問題がないっていうか。美人コンテストに出るとか言っても、出てみなよって感じだ。金賞銀賞が複数出る書道で「まぁまぁな賞」を取って、取ってあれだけポジティヴに頑張ってたんだから。そういう過去から来た人(性格の人)だから、大丈夫でしょ。非難は怖いなと思うけど。
 あ。現状、自分が「面白くない人間」だと思っている人は、「性格がある」って前提で、あるんだから自分が「暗い」となって、その性格を変えよう、と思うので、大変そう。面白い人間の面白い話を聞けば、面白人間くらいにはなれるのにな。朱に交われば赤くなるとしてもスイミーだし。

 あ。ていうか性格があるなしの前提はあんまり関係ないか。「実際ある」ので「ある」と思っている人が「ない」と思うようになるのと、「実際ない」のに「ある」と思っている人が「ない」と思うようになるのも、変わりない、っていうか。世界に一つだけの花というより、花は一つだけの世界っていうか、お前の中ではそうなんだろうなお前の中で花っていうか。神みたいなもんでなにもしなくても、見てるし、死後怖いし、死後怖くて今頑張って、結果頑張った人になるみたいな。
いつも以上にしっちゃかめっちゃかなので後日3行でまとめます。(追記:しっちゃかめっちゃかはいつものことなので放置)。


2016/1/22 金 生活

 なにを見てもなにかを思い出す、というの、勉強ってそういうことだよなーと思う。
 森博嗣が「現実は、現実とはなにかと考えるときだけに現れる。だから現実の数は、人間の数よりずっと少ない」と言ってて、ははあと思った。
 暗夜行路で「世界と合一~」とか最後死にかけたとき言うんだけど、あれはきっとかがみさんの書いてた「全体ドカーン」だよなあ、とか。
 無為に過ごしているので吉川英治の三国志を読んでます(これすら無為だと思ってる人いそうだけど、僕にとってはぜんぜん有意(有為は「才能がある」って意味らしい。有無で反対ってだけじゃ割り切れないっぽいね(無垢の反対は有罪?)))


2015/9/24 木 生活

 金がないのでインスタント麺と調味料をめっちゃ買った。XO醤とか。鉄鍋のジャンで「XO醤のハゲ」というキャラが出て、うちで流行ったんですよね。「おぼえてけつかれ!」とか。
 健康厨じゃないのに「さすがにやばいのでは」と思って、スーパーで野菜買おうと思ったら、野菜をかごに入れてそのままレジに持って行っていいのかわからず、やめた。
 ほとんどのものがバーコードで売られているが、野菜はいまだに裸のまま置かれている。


2015/9/18 金 夏休みはもう終わり

 親のすねをかじりにかじって引っ越しました。家賃23,000円の1Kです(たぶん1K)。仮設シャワーがあって、ガスコンロはまだなくて、洗濯機も炊飯器も冷蔵庫もないですが、楽しく過ごしております。みなさまはいかがおすごしでしょうか。
 最近は、41歳統失童貞ナルシスト小説ワナビの書く、妄想欲望を投影しただけの作品を僕なりに読める感じに書き直す、ということを勝手にやってます。勝手に。もともとの小説はたいへんリアルです。この気迫をそがないよう頑張ってます。一日1000文字分くらいを書き直してますが、だいたい3倍くらいに文字数が多くなっちゃいます。
 リアルってのは、小説の中身が真に迫ってる、ってわけではなく、「作者は気がくるってるんだな」というのがビンビン分かる、そういう意味でのリアリティがすさまじいです。最高。でも結構人に勧めてるのにだれも読んでくれない。悲しい。性格悪いなど言われる。
 現在は大学(徒歩五分。川を挟んで、直線距離200m)のパソコンから更新してます。スマートヒョンがあるんですが、HP更新はさすがにできないかな。
 最近は、誰もいない365日電気をつけっぱなしの部屋で森博嗣のエッセイを再読してます。みごとなことしか言ってない。
 昨日は焼き鳥屋ゆーふぉりあに行って、Nさんにhi-posiのCDをあげたり(どうせBOOKOFFじゃ10円くらいだし)、FくんからAEOのジーンズをもらったり、Mさんに一人暮らしのラクさとかを話したり。おざ研に来てた人ばっかりだったけど、僕はというと、無銘にいた頃みたいに端でじぃっと聞いてました。たまに話して、て感じで。S木さんの買った自撮り棒を茶化したりもしました(不良じゃないDQN)。帰りは酔って、眠くて(雨にちょい濡れたし)電車で終点まで行って車掌に起こされちゃいました。来週のシルバーウィークは彼女がうちに、けっこう長い間いてくれるようで、楽しみ。時間を気にせずだらだら~って、いままでやったことないんだよね。だらだら~したいです(いつもしてるけど)。
 読書会ならぬ聴歌会をしたいですね。聴いて、どういう映像が浮かび上がるとか、何度目に聴いたらどう感じたとか。この言葉の指す意味はとか。わからないことだらけ。シンデレラ(ボーイ+ガール)を読んで、うむむまたもこやつら同じことを言っているなと思った。自分の好きな人たち、影響を受けたい人たちは、たいてい同じことを言っている。それは、自分で考えろお前の人生なんだから、ということ。

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