水形明月

水形明月を読む
『青春の終わり』のあらすじ
『青春の終わり』から想像する作者像
『青春の終わり』から想像する作者像の補足/客観的イケメン
真実と事実
水形と宗教
ベジタリアン志望
もし43歳統合失調処女厨が小沢健二の『流動体について』の歌詞を書いたら
スポンジ脳


久保崇史

水形明月と久保崇史の小説の共通点
水形明月と久保崇史のツイートの共通点
久保崇史のツイッター上のやりとり
久保崇史のFacebook
久保崇史のFacebookその2


2017/9/1 金 水形明月を読む(その1/プロフィール)

 
 水形明月あるいは水形玲という作家をご存知でしょうか?
 ご存知あればぜひ連絡ください。 ぜひ。自分以外、彼の小説を知るものがいないので、寂しいです。
 彼の小説は(おそらく)ネット上でしか読むことが出来ません。そのうえ、彼のホームページは現在更新休止中、かつて20作ほどありましたが、現在公開されている作品はひとつだけです。
 彼の作品に、僕が惹かれる理由はひとつ。

「作者の願望がだだ漏れに見え、作者の心情を推察したくなる。」

 褒められた読者ではありません。けれど、これ以上に楽しい読み方が出来ません。もし可能であるというのなら、ぜひご連絡ください。

 今回は、「僕が想像する最強の水形明月」を紹介しようと思います。
 と、その前に、彼のプロフィール紹介から。



●プロフィール

水形玲(みなかた れい)
本名 高坂健三(たかさかけんぞう)
いわゆる自由業ですね。散文詩人ですから……
筆名 水形玲(みなかた れい)
フェイスブック https://www.facebook.com/kenzo.takasaka
水形玲のページより)


 現在の水形のHPから引用しました。
 本人がHPに載せていない情報としては、1973/12/5生まれ(43歳)。小太りイケメンだと言われる)。処女が好き

 自由業というのは作家業のことで、つまり執筆のことでしょうけれど、作品を売買してはいないので、収入にはなっていません。実際の収入は生活保護です
 生活保護がもらえる理由は、統合失調症だからです。
 統合失調症になる前は、強迫性障害である潔癖症でした。
 発症の前後に明治大学の文学科フランス文学専攻を中退しています。
 フランス語の試験は、水形には負担だったようです。
 また、高校は男子高校だったようで、その高校を志願させた両親と担任の教師に対するうらみつらみを何度も呟いています。
 自分はもっと賢く、望まない進路を不当に強制された、とのことです。
 未だに両親と教師を恨んでいます。

 これらの経歴を総合すると……。
「『早熟は未熟に終わる』タイプ。幼少期、他者より賢いことで、なんらかの優越感を持つ。他者を見下す傾向あり。なにかの失敗に直面すると、賢い自分に否があるはずはないと思い、他者のせいにする。他者のせいに出来ない状況においてすら、自分の愚かさを正視できない。自分の愚かさをごまかすため、なにかしらのスケープゴートを作りがち。水形の場合は精神病として現れたと思われる。『両親・中学教師・試験・幻聴』を敵とすることで、賢い自分像を保持し続け、今に至る」
 と、想像します。 

 そのような人間が、新人賞に投稿します。他者は全て下ですので、自己評価は最高。
 本人的には受賞して当然なのですが一次落ちします。
 そして大衆は芸術を解さない、(本来は評価されるべきなのに目の曇った愚鈍な大衆である)下読みが悪いと考えます。
 なにかしら努力しようと思っても、「間違っているのは向こうだ」という意識がある限り、ブレーキがかかってしまうでしょう。というより、アクセルを踏めないのでしょう。

 崖に向かって走り出すのは危険でしょう?

 結局「いまのままでいい」となります。
 彼は「いま」を「高みで静止している状態」と認識ていますが、僕にして見れば、どん底の闇からさらなる闇へと落ちている状態です。どんどんどん底の深みに。手遅れなくらいに。

「止まっているとどんどん暗くなっている感覚」は、すごーく、気分悪いですよ。
 反面教師としたいです(言うだけ)。

 水形も手遅れだということは分かっています。学生のうちにSEXする機会がなかった(過去)、自分が作家になるのは無理(未来)、と認識することもあります。
 しかし自分に甘く、将来はどうなるか分からないので、作家になって18歳の愛人が出来るという未来を否定しません。
 極めて大逆転な夢。
 その夢は決して消えることがないので、南にある北極星のように、水形を見当違いのとこへ向かわせるでしょう。


●水形の甘さ

 「自分の価値」と「自身の将来像」は、互いに連動して推移するのではないのでしょうか。
 価値を高めて将来像を明るいものとする人と、
 将来像を輝かせて自分が明かりに近づこうとする人。
 前者がボトムアップ、後者がトップダウン方式の「未来への舵取り」に思えます。

 そして、未来の選び方が2パターンあるのなら、間違え方も2パターンありそうです。
 自分の価値が高く将来はますます明るい人と、
 自分の価値が低く将来はますます暗い人。
 トップアップとボトムダウン。これは典型的なポジティブとネガティヴですね。

 さて。
 水形がどのような精神状態か考えます。

 彼は、
 自分には芸術の神がついている、
 芸術家の才能がある、
 精神病は作家の職業病だから自分は作家同然、
 という正の思いがあります。だから自己評価は高いように思えます。

 しかし一方で、
 芸術の神は厳しい、
 芸術家は大衆に否定される、
 作家は貧しく不幸になりがち、
 という負の思いもあります。だから自己評価は低くも思えます。

 将来も同じように、愛人を作る未来を見たり、これまで付き合った経験がないのだからこれからもないだろうという諦めがあります。
 この落差は、自己評価と他者評価の落差と同等のものに思えます。
 才能があるから大作家になるだろうという気持ちと、ふつーに考えて万年一次落ちな自分が無理やろという気持ち。
 水形は自己と、地続きの将来を決めかねています。

 「うどんとそばのどちらかを選んでいるものは、どちらも食べていない」という言葉があります。それをどっちかに決めるのが政治だと橋爪大三郎は言っていました。
 この二者択一を選べず空腹することを、ビュリダンのロバと言います。これはONE OUTSで知りました。
 継続は力なりと言いますが、そもそも何かをすること自体が物凄い力です。進化そのものが、なんかやってたら色々形作っていた、ということですし。

 それで。
 決めかねているロバの目の前、口元に、自分にしか見えない架空の存在「うどんそば」があらわれたら、どうでしょう。
 おそらく、それを食べるでしょう。必死に、遮二無二。
 選べば、先にはうどんもそばがあります。選ばなければ、空腹があります。
 しかし、目の前に「うどんそば」があるのなら、うどんもそばも食べられます。
 なにかを食べれば空腹は解消されるはずですけれど、「うどんそば」は架空の存在です。

 うどんとそばを食べて満腹なはずなのに、
 うどんもそばも食べておらず空腹なロバがいたとして、
 そのロバが口をきいて、
 そのうえ小説を書いて、
 あまつさえツイッターなんかやってるのなら、すごく面白くないですか?


2017/9/2 土 水形明月を読む(その2/『青春の終わり』のあらすじ)

 
 水形の小説は20ほど読んでいますが、現在公開されているのは『青春の終わり』のみです。執筆時期は分かりませんが、公開は2014年の8月頃のようです。
 この小説は一万五千文字弱の短編小説で、一〜六章と終章に章分けされています。
 一人称小説で、作中の年代はよく分かっていません。
 作者のツイートによると「私小説のような感じ」「僕のようなのが古典文学、純文学。ライトノベルやエンタメではない」とのことです。

●あらすじ

一章
 不潔恐怖症と無気力によって大学中退をした細野聡志(23)は、働きもせず無為な生活を送っていた。親から月15万円ほど貰い、浮浪者のようにふらふらした生活を送る。
 自分は不幸であるという考えに取り憑かれている。

二章
 コロッケと弁当とガムと発泡酒を買い、酒屋でカクテルとワインを買って飲む
 青春と呼ばれるような恋愛や、なにがしかの素敵な未来があると思っていたが、なさそう。誰も助けてくれる人はおらず、さみしい。
 自分には悪魔がついていて、つらい生活を余儀なくされている。

三章
 父の紹介により、父の友人の喫茶店でウェイターに務める。給料は月三十万。
 喫茶店は閑散としており、ものすごく働きやすい。「そばの実の雑炊」などの個性的なメニューに惹かれたお金持ちのお客が、店長と仲良くなりたくて月五百万を与える。
 安泰な仕事を得たため、悪魔を無視できるようになる。

四章
 恋人が欲しくなった翌日、折よく(卒業以来会っていないし顔も覚えていなかったが美人の)同級生・三谷から電話があり「付き合ってください」と告白を受ける。
 三谷と職場の喫茶店で会い、三谷が自分に惚れていると、店長の言葉で気付く。しかし店長によると彼女は非処女らしいので、仲良くするのは今日だけにしようと思う。

五章
 人並みの幸せが得られず、つらい。
 三谷に「処女でない人とは付き合えない」と伝える。
 自分をイケメンだと思わないが、イケメンだとよく言われる。イケメンであれば、女を引っ掛けてもよいので、ビッチと付き合ってもいいのかと思う。
 三谷から電話があり、その日にラブホテルではないホテルでセックスする。童貞を失って後悔する。

六章
 (悪魔かなんか知らんが謎の声が聞こえるから)自分はシャーマンのようなもので、作家はシャーマンであるから、小説を書く。後日受賞。
 受賞パーティーでは誰も自分に声をかけてくれず失望する。
 三谷から連絡はない。

終章
 小説がベストセラーとなり、家を買い、処女と結婚した。
 そういう平凡な生き方が一番であり、自分は所詮、平凡な人間だとわかった。

一行でこの作品をあらわすと……
 やけに悲観的な主人公に信じがたい仕事と出会いが訪れ作家の才能まで開花させて「自分は平凡でした」で〆る無成長小説。


 物語が動くのとは別に、主人公の「思索」があるのだけど、そこはほとんど省略している。
 思索の内容は「大量生産をやめて物価があがれば(金をたくさん稼げるから?)労働は楽になる」とか「メニューが個性的であれば金持ちがめちゃくちゃ金をくれる、そこには個性と愛があり素晴らしい」とか「他の人は不真面目だから、僕も真面目さを脇へ置いておこう」とか……そういう感じです。

 物語を起承転結で分けるとどうなるだろう。

 仕事を中心に考えた場合。
 起:浮浪者のような主人公が働き出す。
 承:喫茶店で働く
 転:作家になる
 結:平凡だが幸せな生活を過ごす

 収入を中心に考えた場合。
 起:小遣い月15万
 承:バイト月30万
 転:×
 結:ベストセラー作家

 恋愛を中心に考えた場合。
 起:これまで恋人がいない
 承:恋人がいない
 転:非処女とセックス
 結:処女と結婚

 努力を中心に考えた場合。
 起:恋がしたい。働くべきだろうが働かないのもいい(努力0)
 承:父の紹介と、「本当の男」である店長と、楽な業務のため、仕事を獲得(努力0)
 転:自分に惚れている非処女とセックス(努力0)
 結:作家の才能があり富を得て家を建て処女と結婚(努力0)


 努力とか、驚きとか、なんらかのためになることが、ひとつも見当たりません。
 職業小説のような、ある業界の実情を知るような楽しみもありません。
 この小説に書かれるのは、たれ流しの想像だけです。
 友達料を月五百万与える金持ちや、愛と個性(そばの実の雑炊や銀杏入りグラタン)でそれを成し遂げている店長に、裏を感じずにはいられませんでした。売春とか薬物とか極道といった事情があるのかな、と思いましたが、なんにも触れられてない。愛と個性で友達料月五百万。それで主人公は納得するんですね。
 異常ですよ。
 この異常な喫茶店を書いた経緯を想像すると、おそらく、「あまり働かずにたくさんの給料がほしい」という考えがあると想像します。
 月一万しか売り上げない店から月三〇万の給料が与えられるわけがない
  →パトロンがいればOK
   →パトロンがいるような店ならセンスが卓越している
    →卓越したセンスの店長なら、自分の良さを分かる
 という納得の塊があるように思えます。自分のセンスのよさを店長に証明する描写はありません。あるべきだと思いますけどね。
 「凄いセンスの喫茶店で働けるほど、主人公はユニークなのか?」
 とゆーのは当然の疑問に思えますが、主人公はそんな疑問を露にも抱いていません。
 それは当然の前提なので、疑問を持たれていることなんて、気付きもしないのでしょうね。(疑問を持つ読者は、低俗に染まっているから、芸術的ですらあるこの作品をスムースに理解できない笑)


2017/9/3 日 水形明月を読む(その3/『青春の終わり』から想像する作者像)

 さて。
 ようやく本題に入れます。僕が書きたかったのは「作者の心情を推察」することです。

「あー、この人こんな風に考えてるんだなー」
「あー、過去にこんなことがあったんだなー」

 と想像を膨らませるのが、醍醐味です。
 もちろん想像の域を出ませんので、あくまで僕なりの解釈です。
 作者像を想像してしまう、というのは、文章に豊潤ななにか凄まじい力があるのでしょうから、本当に、凄い才能を持っているのだと思います(だから名誉毀損で訴えないでください)。
 では。<>は引用です。

●主人公の甘え

<僕は親が一日あたり五千円支給してくれることに甘え、神経症的放浪をした>

 主人公は六日間ホームレス的生活を送り、日曜になると実家に帰り、小遣いを貰う。その金額が毎週三万五千円。日割りで五千円。ひと月だと十五万。
 この十五万という数字は、奇しくも、作者の受給する生活保護と同じです。
 生活保護を、親の小遣いと同じような感覚で貰っているのかな、と想像します。
 どのような感覚かというと、天から降ってくるような感じ、あぶく銭でしょう。
 主人公は、親の小遣いを、食料や酒代にしか使いません。家賃にもしません。

 そして、親の小遣いを断るということもしません。甘えてます。


●謎の確信

<風呂から上がって冷蔵庫のプリンの封を開けたはずみに、それを落としてしまった。中身は床にぶちまけられ、容器に残った食べられる分はごくわずかだった。僕はそのわずかなプリンを食べ、容器をゴミ箱に捨てた。
 悪魔だ。
 いつか僕を邪魔することで、包丁で指を切らせたこともあった。何かにつけて動作を失敗させるのだ。>

 いや、いや、いや。悪魔なの? 悪魔でいーの? ただのうっかり屋さんにしか見えないけど、悪魔でいーの?
 プリンを落とすことは常識(一般人の実感する現実)にもあり得ますけど、悪魔と言われれば、常識の外です。
 もちろん小説ですから、常識の外を書くことはあります。自分の現実が狭いもの・間違っていることもあります。この現実に悪魔がいて、だれかにひっそりととりついている可能性もあります。
 けれど、悪魔の存在なんか全く分からない読者がほとんどでしょうから、ここでは、悪魔についてなにがしかの知識を与えて欲しいところです。
 たとえば、いつ頃から自分にとりついたのかとか、悪魔の姿や思惑とか、なんでそれが悪魔だと分かるのかとか、悪魔は他の人にもとりついているのかとか。

 悪魔がいるのなら、神もいます。


<家に着くと、僕は、いままで使っていた財布をやめて、机の引き出しにしまった。そして近所のスーパーに新しい財布を買いに行った。それは合皮の財布で、五千九百八十円した。小銭を入れるところと札を入れるところ、そしてカード類を入れるところがあり、ポケットに収まるコンパクトなサイズだった。
 僕は神様がいると思い、強迫的な努力や、人間の浅知恵による工夫を、その日からやめることした。神様にすべてお任せするのだ。強迫性は何も生まない。>

 いや、だから、なんで神がいると思ったのか。神がいたとて、なんでそうだと思うのか。なんで財布を買った直後にそう思えるのか。
 よく有神論者が「科学を知るほど、地球が生まれ人間が生まれたことが不思議になる。だから神はいる」のようなことを言いますが、ポケットに収まるコンパクトな財布を見て神を確信するのは、ちょっと凄いと思います。ふつう、財布で神を確信しませんから。
 財布で神を確信するのは、僕から見て、劇的なことなので、もう少し文章多いと嬉しいな、と思います。

<神が僕に憑いているといっても、それは他人のために立ちはたらくことが目的だ。>
<何かが憑いたようになって小説を書いていく。>

 主人公が、自分についたのが悪魔だとか神だとか何かだとか言っているので、どれも同じものがついているのかな、あるいは、なにもついていないのについているとか言っているのかな、と想像してしまいます。


●ナチュラルな迷惑行為

<駅前のスーパーは二十四時間営業なので、こんな早朝でも惣菜や弁当のたぐいを買うことができる。>
<駅前広場の近くにあるコンビニのくずかごにゴミを捨て、僕は散歩を始めた。>

 スーパーで買ったものを、コンビニで捨てる行為を、なんの疑問なくやる。
 コンビニ店員として、ふつーに腹立つ。ネットで炎上して欲しい。
(コンビニのことを、二十四時間のスーパーと呼んでいるのかもしれない。そうだったら申し訳ない)
 

●自分はイケメンとは思わないが客観的にはイケメン

<僕は結構ハンサムとか美男とか言われるが、なかなかそれを信じることができない。多分、太っているせいだろう。以前やせたとき、女から「かっこよくなったねえ!」と言われたことがある。やせるといっそう美男であるらしい。でも僕はそれが信じられない。そしてやせることは困難なことである。>
<僕は周りの人物から「細野君ってハンサムね」などと言われるようになって、ようやく自分が「イケメン」だということに気づいた。  僕の「本来そうであったはずの人生」は、イケメンの僕が女を次々抱いていく、そういう人生だったはずだ。  現実には、ただ自分が冴えない男だと錯覚していたのであり、長い年月が過ぎてしまった今では、時間を取り戻すことはできない。>
<そうか。僕はやっぱりイケメンなんだ。>

 「自分ではイケメンだとは思わないがよくイケメンだと言われるので客観的にはイケメンだ」という思考は、精神障害の前段階だと思います。
 ググってもなにもヒットしないが不思議です。

 自分がどんな存在であるかを自分で断定できないのは、アイデンティティが希薄に思えます。
 他人の評価を自分の評価とするのは、自分の判断に自信がないためでしょう。

 他者数人からイケメンと言われることは、客観と呼べるほどにはイケメンだとは言えません。
 百人会って九九人に言われたならともかく、人生の中で何回かイケメンと言われたから信じるのは、そそっかしいです。「イケメンだと言われなかった回数」を考えると、むしろ、客観的にはイケメンではないのでは?


●一太郎ユーザー

<僕は翌日、喫茶店からの帰りにワープロソフトの一太郎を買ってきて、パソコンにインストールした。覚えるとなかなか使い勝手がよかった。>

 一太郎で小説を書いているようです。



 これまでを総括すると、「甘ったれた非常識な判断から迷惑行為を行う勘違い野郎(一太郎ユーザー)」という作者像が浮かびますね。
 もちろんこれは僕が勝手に想像した非常識な勘違いだと思いますが……。


2017/9/4 月 『青春の終わり』から想像する作者像の補足/客観的イケメン

 客観的イケメンとは「自分ではイケメンだとは思わないが、他人からイケメンだと言われるので、イケメンとして扱われる」という考えをした人です。
 なにか、人間として、すごーーく重大なミスを生む、非常に危険な思考に思えるんですよね。

 しばらく書いたり消したりしてるうちに、なぜヤバイのか分かりました。
 まず、誤解から書きます。
 僕は最初、
「○○とは思わないが、客観的に○○なので、○○のように扱われるべき」
 と、
「俺は○○だから○○のように扱え!」
 を較べて、どちらが迷惑なのかとか、どちらがより愚かなのかとか考えてました。
 神のように振る舞う客とか、キャバクラのような振る舞いを要求する客とか、恋愛ストーカーをする人とか、復讐する人とか、色々想像して、どっちがどうとか。

 けれど、違うんですね。
 なにが違うって言ったら、経緯。
 どちらも「最終形態」の迷惑さなのですが、その成り立ちが違うんです。
 どちらも「勘違い迷惑野郎」であることは変わらなく、どーいう思考回路が発達しているかが違う。
「あなたの風邪はどこから?」とように、鼻に症状が出るのも喉が症状が出るのも、結果は同じ風邪なんですね。
 それで、客観的イケメンはどこから来て、どのような症状をもたらすか考えていきます。

 1つ目はよくありたいという願望です。
 これは、まあ、誰にでもあるでしょう。
 親に喜んで貰いたいとか、お金がもっと欲しいとか、痩せたいとか、頭が良くありたいとか。上昇志向は誰にでもありますし、そのままでいいんだ自堕落に生きるぞという人にも、「あ〜、だれか5000兆円くれね〜かな〜」という願望があるでしょう。

 2つ目はこのままでよいという諦観です。
 これも、まあ、あるでしょう。良くなりたいと思っている人にも。
 死ぬのが親孝行だとか、お金を稼いでも使っちゃうとか、運動のご褒美にケーキとか、勉強する前の気分転換でゲームとか。変化を恐れる気持ちがあるのか、面倒臭がっているのか、習慣がないだけなのか、反対のことを習慣としているのか。理由はいろいろあるでしょう。「だれか5000兆円くれね〜かな〜」と思っても、5000兆円くれる人を探すことは、現実味がなく馬鹿らしくてしないでしょう。

 「よくありたい」「このままでよい」を合体させて、3つ目。

 このままで「よい」のだから、すでに「よく」なっている、という誤解です。
 こうなるともう手のつけようがありません。妄想・狂人の域に突入です。
 開いたドアを開けないのは、すでに開いているから。という誤解です。だから部屋から出ようとして、めちゃくちゃにぶつかります。開けてないドアにめちゃぶつかります。その痛みで、ドアが開いてない事実に気付けばいいのですが、すでに開いていると思い込んだら、もう開けることはできません。だって、すでに開いているはずですから。

 3つ目の誤解が育むものは、「よい自分」と「悪い自分」いう像です。金持ちの自分。賢い自分。魅力的な自分。それに呼応する貧しい自分。愚かな自分。不細工な自分。
 言い換えれば、優越感と劣等感。


 優越感と劣等感を持っているだけで、客観的イケメンはあらわるのか?
 僕にも、「自分ではイケメンとは思ってないけれど、人にイケメンだと言われる」という考えがあります。本当に。
 それに、「突然自分に好意を持ってる人があらわれないかな」とか「美人に誘われたらセックスするぞ」という気持ちも、まあある。
 優越感も劣等感もかなりあると、自負したくないけど自負しています。

 けれど、「だからイケメンのように扱われるべき」や「そのように扱われたい」ということにもなりません。僕が自覚しているのは、人の判断材料は見た目だけじゃないし、見た目もぜんぜん汚いし、愚かだし、金もないし、好かれるような立派な性格をしているわけでもありません。イケメンだって言われたのもほんの数人からですし、百人から言われてもそうは思えないような気がします。ってかイケメンってなんだよ。
「イケメンとは思わないが人からそう言われることがある」ってだけで「イケメンのように扱われたい」と思うのは、さすがに、「宝くじを買う金があるから六億円持っているのと同じ」くらいの無茶な飛躍があるように思えるんですが……。
 そう思うのだけど、いったい彼我の距離はどれくらいの距離なのでしょう?
 どれだけ離れていて、あと何歩でそこに至ってしまうのか。
 目に見えないほど遠くであっても、絶壁から見下ろす闇の底にあるなら一歩踏み出すだけで辿り着いてしまいます。

 それはちょっとかなりめちゃくちゃ怖いな、と。

 なんなんでしょうね。書く前にだいたい分かった気がして、書きながら整理されるかと思いましたが、結局分からないので、まだ考えてみます。


2017/9/8 金 真実と事実(水形4)


 真実が事実を隠し、事実が真実を現す。

 まず、真実と事実の定義から。
 事実は本当にあったことです。ニュートンがりんごと羽根を落とした時にりんごが先に落ちたのは事実ですが、そこから導かれた「重いほど早く落ちる」は(現代人にとって)真実ではありません。
 真実は本人にとって本当にあったことで、事実であることもないこともあります。たとえばイエスがコルゴダで死んだのは事実ですが、イエスが復活したかは事実でないともあるとも言えません。


 「もう。本当にもてる男って厄介な存在だよね。最初に三省堂で晴彦さんと出合ったときから思ってたの。おとなしいけど、体ががっちりしてて、顔もハンサムだから、きっとおとなしい性格は作られたもので、本来なら女泣かせな男なんだろうな、って。そしたら童貞だって言うからさ」
   水形明月『僕の二つの恋』

 僕の「本来そうであったはずの人生」は、イケメンの僕が女を次々抱いていく、そういう人生だったはずだ。
 現実には、ただ自分が冴えない男だと錯覚していたのであり、長い年月が過ぎてしまった今では、時間を取り戻すことはできない。
   水形明月『青春の終わり』


 水形は、別な高校に通っていた自分を「真実の自分」「本当の自分」「本来の自分」だと思っているようです。
 正確には、「別な高校に通って女を次々抱いて何事も順風満帆の自分」ですが。
 この「真実」は、他の荒唐無稽なこと――「自分は神だ」「自分は8000歳だ」と較べて現実味のある話に思えます。
 実際、水形が別な高校に行っていれば今とは違っていたでしょう。おそらく良い方向に。

 しかし、この「別な高校に通って女を次々抱いて何事も順風満帆の自分」「真実の自分」だけは、絶対に「事実」ではありえないのです。神が水形である方が、まだありえるのです。

 「真実の自分」は、前提として、「事実の自分」を否定しています。
 「男子校に通わず共学の高校に通った自分」と「共学の高校に通わず男子校に通った自分」は、互いに否定しあっています。
 ですので「真実」が「事実」になることは出来ません。

 しかし、「事実」が「真実」になることは出来ます。
 その場合「事実」に反する「真実」には出来ません。

 「真実」がX、「事実」が仮に1だとして、
 X≠1ならば、Xにどんな数字を代入することが出来ます。0.9でも3でも8000でも5000兆でも成り立ちます。けれど1にだけはなりません。
 X=1ならば、Xには1になるものしか入りません。3や8000や5000兆では成り立ちません。

 水形は自分が1である事実を、心底認めたがってなく思えます。だから1にならないものをXに当てはめ続け、間違い続けたように思えます。
 X=1のままでは、Xは1です。
 真実という頭の中の左辺Xを弄るのではなく、事実である右辺1を変えなければ、Xは1以外のものにはなりません。
 事実の1からでなければ、Xに1以外を入れても、ただ間違うばかりです。

 本当なら唐辛子ウォツカのペルツォフカが好きなのだが、いつしかその味も好きではなくなっていた。
   水形明月『ウインドの思い出』

 かつて好きだったものが、今は好きではない。それだけの話なのに「本当なら」というから、今の自分を「本当」と言えなくなる。わからなくなる。


2017/9/15 金 水形と宗教(水形5月)


 これからはあのいい店での安泰な勤務が続くんだ。もう悪魔のことは言うまい。そいつは無視しておくのが一番だ。
  『青春の終わり』

 悪魔だ。
 いつか僕を邪魔することで、包丁で指を切らせたこともあった。何かにつけて動作を失敗させるのだ。
  『青春の終わり』

 悪魔が引き起こす耳鳴りなどの苦痛を排除するため、レーベでアニメを見ないことに決めた。
  『スポンジ脳』

 僕は一神教の神に出会ったことがないのでクリスチャンのように祈ることはしないが、これでも以前はキリスト教式に祈っていたこともある。
  『スポンジ脳』

 僕は神との関係を考えました。何年か前にキリスト教と出会って、教えを捨てたり取り戻したりしてきました。でも、信じているといいことがあるので、信じることにしたのです。
  『タツオの旅路』


 答えを与えられると信じてしまうことがあります。いつもの場所にいつものものがないと泥棒が入ったとか、この水を飲んで健康になった気がしたからこの水は健康によいとか、祈ったあとに良いことがあったから神はいるとか。傍から見ると気のせい・偶然レベルに思えるのですが、まあ、人に迷惑をかけないならよいのではと思ってます。

 水形は自分の耳鳴りを悪魔のせい、幻聴の声は悪魔のささやきと思ってます。悪魔に憑かれると、困りますね。
 第一に、悪魔が憑いているのだから、という言い訳ができます。全部悪魔のせいにできますから。
 第二に、どうしようもなくなります。悪魔相手ですからね。他人の目に見えませんし、科学の力ではどうしようもありません。

 悪魔が憑いていると困りますが、悪魔だという確証はないので、悪魔が憑いているわけではないかもしれません。神もよく預言とかさせますよね。神だったら、いろいろ、なんか便宜してくれそうです。
 水形は自分に憑いているのが神だと思うこともあります。神に対して「神なのになんで僕の人生をよくしてくれないんだ」と怒っています。不敬極まりなくないですか?
 いいことがあればそれは神だーって、ヨブ記を読んでないのでしょうか。あれほど分かりやすく「神の意思は人間に計れない」と示したものはないでしょうに。

 また、神や悪魔ではなく、霊が憑いているのだと思うこともあります。
 分裂気質者にはよく高級霊が憑くそうで、そのせいで、世間から嫌われやすいそうです。でも、分裂気質者は上品なのです。上品だけど、世は悪に満ちているので、嫌われてしまいます。神秘的なこと、美しいこと、芸術的なことは、低級な低俗霊どもの世俗から反感を持たれるので、辛いようです。
 また高級霊同士でも噛み合わない(付き合えない)ことがあり、その場合は、年の差によるものです。自分の霊は1000歳ほど、相手の霊は若い高級霊なので、話が合わなかった、ということもあります。まるで、会話が通じないと「IQが20違うと話が通じないんだよね」と言って自分のIQを高さを確認する人のようです。

 神や霊が憑くのは、作家の職業病なので、水形は作家の素質があるとのことです。
 ぜひとも悪魔に負けず、悪魔と戦い続けて頑張って欲しいですね。


 女性と付き合おうとして、失敗し、それを悪魔や霊のせいにするのは面白いです。悪魔の声ばかり聞いていると、相手が人間だということを忘れてしまうのでしょうか? 相手には意識や心があって、それは自分と違うこと、自分とは違うことを、忘れてしまうのでしょうか?
 僕が水形悲恋話で一番好きなのは、「女性は初対面のときはにこやかだが、次第に冷たくなる。だから初対面のときに付き合ってと言おう」というものです。恐ろしいですよね。相手が冷たくするのは、冷たくされるようなことばかりしているからでしょう。そんなことはお構いなしです。自分に笑顔を向ければ自分のことが好きに違いないのです、だから好感度が高いうちに付き合ってと言うのがいいのです。彼の中では。
 初対面とはお互いの好感度が0のときなので、自分と話しても好感度をまったく覚えないと自白しているように感じるのですが。



 魔女狩りや関東大震災の朝鮮人狩り、蝦夷討伐やネイティブアメリカン殺しと同じで、機会があれば気に食わないものをみんな殺したいのです。
 気に食わないことは全部悪魔のせいにしてしまえばいいのです。
 悪魔を殺したものは、その悪魔の存在を証明する宗教にずっと縛られることになります。神を信仰する気持ちとは真逆の理由で、その宗教にすがります。その宗教が真実であればこそ、自分は人殺しにならずにすむからです。「人を悪魔と思い込み、人を殺した自分」を認めることは、できないのです。

 悪魔に人生を狂わされた水形は、「悪魔がいないにも関わらず最悪な自分の人生」を認めることはできないのでしょう。これからも不当を嘆くでしょうね。


2017/9/17 水形はベジタリアン志望(水形6)


 無為な生活を送っているので、水形の小説を読みまくって気が狂いそうな日々です。


「あまり肉は食べないんですよ。ニワトリさんや豚さんや牛さんのことを考えると、かわいそうで……」
「大谷さんは優しいんですね」
 男の看護師が言いました。
「でも魚やイカは食べるんでしょう? 中途半端じゃないの」
 僕は困って言い訳をしました。
「いや…… 魚介類に心があるのかどうかわからなくて」
  『タツオの旅路』

 料理は唐揚げが多かった。僕もそれをすすめられたが、牛や豚に比べて鳥族に対する僕の親しみが強いので、断りきれなかったけれど、鶏肉を食べるのは嫌だった。何年か前に僕の中で肉を食べるのは罪だという考えが生まれた。今でもそれは同じである。でも、実際にはおいしくて食べてしまうことが多い。中途半端だ。
 牛肉を食べる頻度が一番高く、次いで豚肉、鶏肉の順に食べる頻度が少ない。まあ、これだけ食べる機会が多いなら、動物のことを思っているとはいえないだろう。
  『僕の二つの恋』
 
 僕は迷った末、かき揚げ丼を選んだ。本当はカツ丼が食べたかったのだが、豚の命のことを考えてカツ丼はあきらめた。
   『スポンジ脳』

 殺さないほうが優しいから食べないのでしょうかね。引用できなかったのですが、水形のどれかの作品に、「僕が牛丼を食べないことで牛さん一頭が生きていられる」とありました。自分が食べても食べなくても、今死んでいる分は死んでいると思うのですが。
 僕が好きな「豚の実」が登場するのは、『ミスラの夢』です。ミスラという理想郷があって、そこには殺生や悪意や病がありません。だからみなベジタリアンです。
 しかし水形は、ベジタリアンになりたい気持ちより、豚も牛も魚も食べたい気持ちが強いんですよね。
 だからそこには、「豚の実」や「牛の実」が生えている。豚の木に実る「豚の実」は、豚肉の味がします。けれど木なので、これを食べてもベジタリアンです。
 タブーを回避しつつ(悪を為さず)、快楽は得たい。その気持ちが透けて見えるようで、「安易だなあ」と思い、僕はとても好きです。
 豚の実、牛の実、鯖の実や、ソーダの実もあります。さすが、理想郷なだけありますね。


2017/9/24 もし43歳統合失調処女厨が小沢健二の『流動体について』の歌詞を書いたら

 葛西臨海公園 海の波が揺れる
 5時になることが告げられると
 甘美な曲が流れ
 僕はしばし寂しさに頬を濡らす

 もしも共学の高校に通うことが出来たのなら?
 本当の世界の僕は
 バルコニー付き三階建で暮らしてるのかな
 広げた脳みその妄想を隅まで見てみるけど

 神の手の中にあるのなら
 その時々に出来ることは
 ないー(急にムラタユスラになって終わり)


2017/9/27 スポンジ脳(水形7)

 また統合失調症者の小説についてつらつら書きます。
 今回は『スポンジ脳』という作品について。現在は公開されていないのですが、あらかじめちゃんとバックアップをとってあるので無問題です。


 あらすじ。

 統合失調症(作中では「スポンジ脳症」)の主人公が異星に行き、その星で「統合失調症は平和のよすが」と評価され広まり、地球にも統合失調症が広まり、みなが統合失調症になって平和な世界になった。

 という話です。

 この世界で評価されてないのだから、評価軸の違う場所に行けば評価されうる。
 この世界は愚かで世俗的なのだから、賢く超然的な世界になれば評価されうる。
 そういった感情が見えますね。

 現在公開されている『青春の終わり』と類似した点をあげると、主人公が悪魔につかれていることでしょうか。どれだけ幸せになっても悪魔はついて回るようです。


 この作品は面白い点がいくつもあります。ひとつは、女性がめちゃくちゃ主人公に同情的なことです。
 主人公が喫茶店で悲しみに耽っていると、女子高生(実は異星人)が、書き置きをするんですよ。
「泣いてらしたようだから、かわいそうだと思ってこれを書きました。いま付き合っている女性はいますか? いなければ私と付き合って下さい」
 こんなこと、ありえますかね?
 ありえないとは言いませんが、ありえないと思うしか無いことですよ。あり得たとて、裏を考えずにはいられませんよ。宗教勧誘とか、高価な壺をかわされるとか。
 で、この書き置きを受けて、主人公が真っ先に思ったことが、これ。
(今年こそは、僕にも楽しい夏がやって来る?)
 いやいやいや。受け入れるの早すぎでしょ。どんだけお前は、どんだけお前は、この書き置きが常識に外にあるのか、ほんとに分からないのか。分からないんでしょうね。分からないから、別に裏もありません。この女の子は本当に、喫茶店で勝手に暗い顔して泣いていた男と付き合いたがってるし、付き合うし、数時間後に「結婚しない?」と提案します。結婚詐欺とか、結婚は冗談だとか、そんなこともなく結婚します。
 どんだけ主人公が魅力的なのか、なにも書かれていないので分かりませんが、文字にも書けない美しさを持つのでしょうと想像するほかありません。


2017/11/11 水形明月と久保崇史の小説の共通点

 水形明月久保崇史
 両者とも「人格が現れている」ような作品に思えました。
 さらに、その「作品から見える人格」に重なる点があるように思えたので、羅列していきます。

○外見で判断
久保
> 同じ女子高生でも、現実の方は悲しくなるくらいブスばっか。彼女にしていいと思える可愛い人なんて、クラスに数人しかいない。アニメには絶対出てこないようなブスが現実にはどうしてあんなに多いのか、マジで意味が分からない。まぁ、ぼくも人のことは言えないけど、でも、ブスではない。
> ぼくたちのチームが惨敗までいっていないのは、橋本が強いからだった。太って重心が安定しているからなのか、ブレないフォームでものすごいスピードのボールを投げ、ストライクをバンバンとっていた。しかし素直に喜べないのは、そのたびに「イェーイ!」と高藤さんとぼくに向けてハイタッチの手を向けてくるからだ。「お前じゃねーんだよブス!」と心の中でツッコみながら、ぼくは愛想笑いでハイタッチを返さなければならなかった。
水形
> 私は何だか不幸になりそうな予感がした。私に最良の相手など現れないのだ。いつか出会った女はブス、ちょっと前に猛アタックしてきたのもブス、「第二候補にして」と言ってきた女もお年寄りだった。(お嬢様)
> ちなみに神様、今私の部屋に訪問に来ている福祉のスタッフはブスなので、付き合う気は全くありません。(blog)
> 僕とレドラは女にもてない(もててもブスと結婚する気はさらさらない)自分達の境遇を呪った。  どこかからいい女がここに来て性的奉仕をしてくれないかな、などという仕方のないことを話し合った。
> 話し方からすると三谷はきっと処女だろう。多分、多分処女だろう……

 人の外見に点数つけて美人だとかブスだとか言っている。
 そして、自分が勝手に点数をつけた相手に対して「彼女にしていい」とか「お前じゃねーんだよブス!」とか「付き合う気は全くありません」とか「ブスと結婚する気はさらさらない」とか言ってる。


○処女厨
久保
> ユウが「ヤッてるだろ。間違いなく」と断定するものだから、ぼくは「あの純粋な高藤さんがヤッてるわけないでしょ!」と必死に否定しなければならなかった。
> 「もし別れててもさ、もうヤッた後だったら付き合うの悩んじゃうよな」  タツヤが言い、「ヤッてないって!」とぼくが、「お前は悩む必要ないから安心しろ」とユウが突っ込んだ。
水形
> 「……ねえ、私、高橋君との関係は大事に育んでいきたいと思うの。だから――」 「僕らは一体どういう関係なの? まだ付き合ってるわけでもないし」 「だから、私と付き合ってくれる?」 「いいよ。ちなみに水守さんは処女?」(真鍮)
> 「あの子、処女じゃないような気がして」「いまどき二十五歳で処女なんていうほうが珍しいだろ」「はい……」「君は処女のほうがいいのか」「はい」「それならあの子はあきらめることだな。お互いに傷つく。君の処女がいいっていう気持ちはゆずれないものなんだろう?」「はい」
> 人生は有限だ。だから、処女でないとか、そういう理由から片瀬を返品するわけにはいかない。もう僕は人生の後半にさしかかっているのだ。そろそろ生涯の伴侶を決めたほうがいい。 片瀬でいい。なかなかすばらしい九十点くらいの女だ。僕は彼女と結婚することを空想した。(僕の二つの恋)

 処女は純粋。処女は「返品理由になりうる」。水形の方が過剰だけれど、でも根っこは同じだ。


○違法動画サイトを見る
久保
> いつもの無料動画サイトを立ち上げる。大好きな深夜アニメの第六話を再生した。著作権的に違法な動画だって分かってるけど、知ったこっちゃない。
水形
> youtubeの歌を聴きながら、ティーバッグを水出しにした紅茶を飲んでいる。youtubeの歌を小説を書くときに聴くと効率がよくなるのです。

 悪いけどする。悪いほうが間違っている。そういった感情があるのだろうなと思う。
 あるいは「みんなしているから構わない」か。


○センス
久保
> 愛田が、J-POPの曲の名前を言った。いま大流行中のドラマ主題歌だ。みんな、思わず「おお」と納得の声を出す。そう、愛田はこういうセンスは抜群なのだ。
水形
> 個性のある者にしかできないのが、こういう形態の喫茶店だよ。……細野君、きょう、そばの実の雑炊食べてく?

 大流行中のドラマの主題歌を提案した子に対して「センスは抜群」
 月500万払うようなパトロンが出来る喫茶店の料理:そばの実の雑炊が「個性的」
 流行曲にセンスがないと言いたいわけでない。体育祭の応援団の踊りを流行曲でやるのは普通だなと思う。あるいは素直だなとかひねくれてないなとかいい子だなとかそういう言葉を思いつく。
 そばの実の雑炊は、僕は食べたことないけれど、お金持ちが友達料として月500万を払うほどではないでしょう。(ちなみに他のメニューは、コーヒー、アイスコーヒー、ホットレモンティー、アイスレモンティー、トースト、シナモントースト、鶏ムネ肉のソテー・ナツメグ風味、バジルステーキ、ライス、三つ葉うどん、コーヒーケーキ、ゆでピーナツ、ミックスナッツ等)


○現実作品の援用
久保
> 今神が「鈴木先生」というタイトルの漫画を勧めてきた。「うちの担任と同じじゃん」なんて笑ったけど、一話を読んでみてとてつもない衝撃を受けた。
> 「金色のガッシュ!!」の、コルルのセリフを思い出す。   ──やさしい王様がいてくれたら、こんなつらい戦いは、しなくてよかったのかな?  そうだよね、コルル。やさしい王様さえいれば、世の中は平和になるんだよね。
水形
> 僕は西野カナやエグザイルに興味がない。 芸能・スポーツが嫌いだ。 文学やエヴァンゲリオン、中村由利子が好きだ。 それが分裂気質というものである。
> エヴァンゲリオンも、根本的には僕を救うことができなかった(アリス)

 小道具的に実在の作品名を出すものはあるけれど、「○○という作品が素晴らしい」というようなことを言う。読者が「それならそっち読むよ/見るよ」となるんじゃない?
 また久保くんの作品では、重松清『エイジ』のあらすじを説明して、(読んでないから知らないけどたぶん)オチまで言っている。
 それと、「うちの担任と同じじゃん」なんてのは、作者が同じ名前にしたからであって、白々しく思う。
 あと、作中の事件が、鈴木先生のバタフライナイフ事件を彷彿とさせるので、パクリだとか考えなしだと批判されることが想像される。


○作者の登場
久保
> 「あ、同じです! 歳は十七歳だけど、学校に行ってたら高校三年生。久保崇史って言います」
水形
> 僕は軽く手を振って、パソコンのある部屋に行った。 (なんとかしてこれを新人賞に…… ああ、でも僕はすでに金持ちなんだった。何のために小説を書くのやら……趣味だよね。特に入賞しなくてもいいわけか。ホームページに載せておくだけでもいいな)  その同じ瞬間、日本では同じように小説を書いている貧しい男が、コーラを激しく吐いていた。その背中をさする女はなく、彼の小説は一編も、新人賞に入賞する見込みはなさそうだった。

 久保くんの方では、作者名と同名の人物が登場する
(雰囲気が似ていると描写される。「ぼく達は、性別も年齢も、背丈も雰囲気も同じなのに、ぼくはこちら側にいて、久保君はあちら側にいた。」とあり、主人公と久保崇史が対比されている。対照実験のように「同じ」を強調する。『久保崇史』の鏡合わせの存在とするなら、主人公も『久保崇史』と見ることもできる)
 水形の方では、主人公は金持ちで幸福で趣味の執筆でも才覚を現している。それと対比されるこの男は誰なのかと考えると、水形ではないかと思う。この小説は地球ではない場所のアロンド王国が舞台なので、作中に一度も登場しない「地球」の「日本」の男を出すのは不自然に思える。アロンド王国の貧民街の男ではなくわざわざアロンド王国と日本を対比とした理由はなにかと考えると、架空世界(アロンド王国・フィクション)と現実の対比ではないか。ちなみに水形は貧しく、コーラが好きで、新人賞には一次通過さえしたことがない。
(フィクションに現実を持ち込んだのなら、現実も嘘になる。水形は「これは嘘の記述である」という前提がなければ現実を見れないと推察するのは安直な飛躍だろうか)


○下品・失礼
久保
> 手元を見ると、ハンカチで手を拭いていた。トイレに行ってたのか! 一瞬で股間がモッコリしたのが分かった。
> 土井が意外にもまともな服を来ているのが意外だったけど、ぼくの目は高藤さんに引き寄せられた。
水形
> 「拝啓 こんにちは。 あなたは前にも『初めての人になってください』と書きましたね? そして今回も」
> ベンチにいたのは、髪にリボンを結んだ女子高校生。スマホを操っている。かわいい顔をしていた。こんなかわいい少女を逃がす手があるだろうか?仕方なく、メッセージを書き、少女の座っているベンチの背後から近づいて、カバンに紙をしのばせた。メッセージの内容はこう。「はじめまして。四十一歳のおじさんです。お金も何もないけど、お金を渡したら犯罪ですよね。君は十八歳? もしそうならおじさんと付き合ってください。080‐××××‐×××× 桐田」よかった。少女は気付いていない。

 モッコリや意外を強調した土井disが霞むくらいの、水形のナチュラル。なにもかも怖すぎる。なにもかもやばいけど「仕方なく」ってなんだよ。そら精神病棟に強制入院だよ。


○他力本願
久保
> 子供が大人の心を分からないのは仕方ないさ。子供は未熟なんだから。だが、大人は子供の目線に立つ義務があるんだ。社会を全く知らない子供に、大人の世界がどういうルールや常識で回っているのか、噛み砕いて教えなければいけないんだ。そうしないから、子供は学歴が役立つ実感が持てず、必然的に勉強へのモチベーションが上がらない。
> ぼくはもっとぼくの話を聴いて欲しかったし、ぼくの想いや疑問に一旦は同調してほしかった。
> 「内気な土井さんは休み時間に教室で絵を描くことで誰かに話しかけられるのを期待していたのに、ぼくを含め全員が見て見ぬフリをした」
→「鈴木先生、どうして、土井さんが明らかにクラスで孤独な思いをしているのに何もしなかったんですか? たぶんそれが原因で不登校になった時期も、何もアプローチはしなかったんじゃないですか?」
→→「相談しなかったら、手を差し伸べなくていいんですか? 本当は相談したいのに内気なだけかもしれないし、先生の方から気づいてくれるのを待っていたかもしれないじゃないですか。そういう複雑な心理が分からないんですか?」
水形
> 「僕と友達でいてくれるなら、僕の持ってるお金の中から五億ロンドをあげるよ」 「五億ロンド?」 「家を建てるのに二億ロンド、一生分の生活費が三億ロンド」
> 「今月分ノオ金、持ッテキタヨ」
> 明日でもいい、役所から人が来て「生活保護を取り消します。働いてください。就職はあっせんします。税金を納めてください」と言ってほしい。

 身体も思考も金も環境も全て他人から与えられることが読み取れる。


○狂う
久保
> 俺さ、三ヶ月前から高藤と付き合ってんじゃん?」タツヤが暗い調子で言う。この話を聞いてもぼくが嫉妬で狂わないのは、「付き合ってる」というのが現実の話じゃないからだ。
> 帰ってから、ぼくは気が狂いそうな勢いでベッドにダイブした。うつぶせになり枕に顔をうずめる。すぐに涙が出てきた。   くそう、高藤さんにフラれた! あっさりと!
水形
> 僕は桐田光(きりたひかる)。四十一歳。統合失調症で生活保護を受けている。週五日、近所の精神障害者の集会所に通い、そこで時間を過ごしている。僕には恋人がいない。 

 勝手に狂いまくって水形の轍を踏みそう。
 友人に恋人が出来ると嫉妬……とあったので同性愛の話かと思ったくらい。なんで嫉妬に狂うんだよ。こんな奴でも恋人が出来ているのになぜ自分にはってことか?


 あと共通点ではないけどひとつ。
 久保くんの小説は、考えなかった人間が考えることを憶え成長するおだやかなのに力強い流れがあります。その考え始める前の段階で、主人公がなにも考えない人間であることを表現した、本当に適切な、本当に卓越した一文があるので紹介します。
 状況は、昼休みに屋上前の階段で友達ふたりとダベったあと、ノベルゲームを始めます。友人集まってノベルゲームをやるもんなんですね、みんな各々のゲーム機の画面を見ながら。もう面白い。
> ぼくたちがやっているソフトは中でも少し変わっていて、主人公が中学一年生から始まり三十歳になるまでプレイするという超長編ゲームだ。ぼくの主人公は今、中学三年生。クラスメイトの美少女二人に好かれていて、どちらを選ぶか決めるところだ。ぼくより少し先に進んでいるタツヤは黒髪の方を選んだらうまくいっているらしいから、ぼくも黒髪の方を選ぶことにした。

 ぼくより少し先に進んでいるタツヤは黒髪の方を選んだらうまくいっているらしいから、ぼくも黒髪の方を選ぶことにした。

 いや~これは本当に、本当に素晴らしいほどになにも考えてない。なにも考えてないうえに、なにも感じていない。「黒髪の方」とか「うまくいっている」とか「ことにした」とか、一個一個がもうメガトン級のバルカン級で、愚かさの火薬庫ですよこんなん。最高。久保くんの文才を軽んじていました。これは本当に稀有ですよ。最高! 最高!!!!1

 そして水形の慟哭にて〆

 希望が消えていった。
 年を経るごとに。
 中学時代はまだよかった。
 ファイナルファンタジーやドラゴンクエストをやっていた。
 でも、担任の策略により、男子高に進まされる。
 高校の屋上で、灰色の街を見ながら胸の痛みを、恋ができない胸の痛みを感じていた。
 どんどん状況は悪くなっていった。  そして四十一歳。まだ女を知らない。
 エヴァンゲリオンも、根本的には僕を救うことができなかった。
 僕を救うものは小説を書くことだけであるようだ。つまり、新人賞を取ること。
 でも、何もない人生だった。
 
 緑茶で健康が守れているのはいい。
 緑茶には抗酸化作用がある。抗酸化物質は病気のもとである体内の活性酸素を減らしてくれる。
 肥満だが、緑茶のおかげで身体病は何も発症しないでいる。
 抗精神病薬のオランザピンの副作用のせいもあり、肥満がなかなか解消できない。
 今から十八歳の処女と結婚しても、もう遅いような気がする。
 こっちはその頃にはもう四十三歳くらいになっている。
 消えた青春は戻ってこない。
 世界の全てが敵になっても、屋上付き三階建ての家を買い、十八歳のかわいい処女と結婚しなくては。
 失望。
 それが四十一歳の僕には待っていた。
 何もなかった若い時代は失望を結実した。
 なぜ自分の運命が悪くなるのかがわからなかった。
 青春が取り返せないのに今から頑張って十八歳のかわいい処女と結婚するというのか。
 それが最上の選択なのか。
 それはしょぼい。
 今から頑張っても青春は取り返せないというのか。
 それは何のための努力か。
 意味がない。
 痛みを覚える。
 精神病院は僕に暴行や虐待を加えたが、もちろん弁護士に裁判を依頼するだけの金はない。泣き寝入りだ。
 何の人生なのか、この不条理は何なのかが全くわからない。
 意味がない。
 人生に意味がない。

おまけ:僕が架空の久保くんを責め立てる文章


2017/11/14 水形明月と久保崇史のツイートの共通点

 こんどは作者像ではなく、本人編です。
 もちろんこれも僕の想像です。
 何千のツイートからたった1つのツイートを抜き出し表面的に受け取っているだけなので""本当""の彼ら像と異なる可能性が極めて高いです。

○世界に影響を与えたい
久保
> もちろん戦うことは必要だ。でたらめでもいいから、自分の考えを信じて対決していけば、そうすりゃ、世界が変わる。
水形
世界が暗くとも、世界を皇帝が支配していようとも、僕はその皇帝から売られたケンカに勝たなければならない。それは僕の文学で世界を支配することだ。

 久保くんの「世界を変えるというテーマ」は、少し聞いただけで判断されたくはないと思う程度にはこみいったものであるようなので、ツイートひとつから判断するのは、彼の""本当の""意見とは異なるものになるだろう。ここはあくまで「戦うんだあ」「でたらめでもいいんだあ」「両者が世界を相手取っているんだなあ」くらいに留めよう。
 水形の作品には『皇帝』という作品があるのですが、作中では皇帝は迫害される側でしたので、関係ないですね。「皇帝なんかと仲良くしてるのかよ。だっせー」なんてセリフがあります。


○女性の髪
久保
> さらに冷静に考えてみると、初恋の人はもう金髪になってて住む世界が違うから無理だとすっぱり諦めてたけど、大学終われば就職で真面目に生きなきゃいけないわけで、大人になってからの恋なんてありふれてるし、成人してから近づいてきちんとアプローチすれば全然可能性あるじゃん!!!マジか!!
水形
> Iさんは素敵な人だった。 でも会わなくなった。数回しか会っていない。 紛失した本の件を謝った。 もう彼女もきっと体験を済ませて髪でも染めたのではあるまいか。 意味なし 私の人生は意味なし

 久保くんのツイートからは「自分の住む世界は真面目であり、彼女は真面目でなくなり、就職をしたのならば自分の住む世界に戻ってくる。金髪は真面目でない証拠」と読み取れる。
 水形のツイートからは、「処女=黒髪」と読み取れる。
 いずれも髪の色が違う人は住んでいる世界が違うと認識しているように思える。


○明治大学生
久保
明治大学4年生。文章を書くことが大好きで、本気で小説を書いています。
水形
> 三島も芥川も太宰も夏目も、自殺したり精神障害になったりしているけど、成績が良く真面目なところがあったから精神障害になったり自殺したりしたのではないか。私も超一流大学ではないけど、明治に通ってたし。真面目を捨てよう。

 単なる事実の羅列。


○本来/本当
久保
> ゲイネタって基本的に笑わないようにしてるけど、これは面白い
> ぼくはまだ何も政治を勉強していないから勝手なことは本来言えない。けど、何もわからないぼくが今の時点で感じたことをつぶやこう。
水形
> 統合失調症はペルソナ(表向きの自分)と影(シャドウ 本当の自分)のアンバランスから起こってくるとか。本当の自分はネクラでオタクなアニメファンの僕だった。本当の自分を大事にしたい。

 「○○だけど本来××」という考えは非常に危うく思えます。板挟みというか、板引き裂かれというか……。

 痩せたいから食べないと思いながら、太ってもいいから食べたいと思うなら、食べるか食べないか、決めないといけません。片方の欲を満たすと、片方の欲が満たされません。不満を抱くことになります。どちらを選んでも不満があります。両方叶えようとするものに、食った後に吐く拒食症の人がいます。食べたものを吐く拒食症は、たくさん食べ過て吐く過食症とセットで発症することが多く、病根は同じという見方もあります。過食と拒食は合わせて摂食障害と呼ばれています。
 それで、痩せたいけど食べたいって思う人は多いですが、摂食障害にならない人もたくさんいるわけです。その理由はすぐ思いつくだけで3つあります。もっともっとあると思いますが。

 1つ目は止揚。食べると食べないを一挙に満足させる方法を発見することは、難しいです(僕には分かりません)。痩せたいと食べたいなら、脂肪吸引とか、足を切り落とすとか、霞を食うとか、胃にサナダムシを飼うとかが思いつきます。

 2つ目は許容。「食べても運動すれば太らないかもしれない」とか「今日の昼だけは食べちゃお」とか「明日からダイエットだ」とか、達成できる程度に条件を緩める方法です。一日二食にするとか、おかわりは8回までとか、週一でジムに行くとか、1cal食べるごとに100m歩くとか、実現可能なハードルまで下げることです。ハードルをどれだけ下げるかは、本人次第でしょう。

 3つ目は欲求の根源を見つけ、解決することです。食べたくないのは食卓を囲む家族が嫌いなことが理由かもしれません。家族との不和が解消されるとか、食事は一人でとるとか、そういうことが出来れば痩せたいと思わなくなるかもしれません。意中の人に好かれたくて太ったけれど、その人は、食べすぎて吐く人以外ならだれでも好きな人で、それに気づけば食べすぎなくなるかもしれません。けれどこれは、いじめられて捨てられた子犬が優しい人に優しく扱われ続けても警戒を続けるようなもので、簡単には「欲求捨~てた」とはいかないと思います。

 そして4つ目は解離です。これは、完全に精神疾患です。
 普段は○○と思う意識の蓋がふっとんで、顕在化した人格が××しまくる、という奴です。
 恋人に優しい自分でありたいが不満を募らせる人が解離して大暴れ、とか、働くことに疲れた人が解離して銃乱射、とか。そういった解決方法もあります。
 「現実は○○である」という固い蓋の中で煮詰まった「本当は××したい」気持ちが爆発する(僕の見解です)。

 前記した3つと比べ、解離は、肉体単位で見ると「○○と××」を一緒に叶えることに失敗しています。けれど本人にとっては違います。そこが精神疾患と呼ばれる所以でしょう。

 久保くんが精神疾患の初期症状とか、水形が何度も解離を起こしているとか、そういうことを言いたいわけではありません。
 久保くんのツイートの「勉強していない」という言葉には「自分の発言は誤りを含んでいるだろう」という謙虚さが見られます。
 水形のblog、Twitter、小説には解離という言葉は出てきません。
 僕が言いたいのは「板挟みってヤバ~い」ってことです。
 「自分」と「本当の自分」で自分をふたつに分けた時、どんな形であれ、心には板挟み/板引き裂きの負荷があるんじゃないかな? ということです。

 これはたとえですが。
 実際の自分は男子校に通って青春を失ったけど、本当の自分は共学校に通ってモテていたのに、
 とか。
 実際の自分は他人に考えが浅いと言われているけど、本当の自分は物事を深く考えて賢いのに、
 とか見ると、
 板挟まれてるな~~と思います。
 これはたとえですよ。


○一発逆転小説チャレンジ
久保
> ダメだマジで朝からずっと心が折れそうだ この小説で大逆転する計画は一年前から構想していたのにどうなるんだ これが売れなかったら、この1年が水泡に帰すだけじゃない、これから後がない 考えに考えて、この方法しかもう人生を進める手だてが無かったんだ 失敗したらどうすればいいんだ
水形
> 仕事をしてないから彼女ができないのかな。 金がないから? 統合失調症から回復する前にオープンで働けと? どうせ給料16.5万円くらいしかもらえないはず そんなんで彼女ができるのか 絶望的な未来を感じる
> 新人賞で華々しくデビューするのではなく、地道に努力していれば、年収520万円くらいだとしても、いい仕事の口が見つかるかもしれない。地味に行こう。本が五十万部売れて六千万円儲かるとかいう世界は、何か派手派手な感じがしないでもない。

 久保くんの、後がないということは、二の矢を持たなかったっていうことで、なかなかの緊張感なのではないでしょうか。今は指を放すとこなので、終わってから「後」を探せばいいんじゃない。
 矢を外すことを怖れて、ゼノンの矢みたいに結末を見ないんなら、ちょっとどうかなと思うけど。最初から水風呂に入るんでなくサウナで熱くなったあと入るように、泣き疲れたらよく眠れるように、きっと甲斐がありますよ。
 水形は、絶望的現実と希望的観測を行き来するのが、まるでジェットコースターのようで、見事な迫力があります。これも板挟みですね。


○小説に自信大
久保
> 読んだ1割ぐらいの人に「人生で最も影響を受けた小説です」って言ってもらえるぐらいの自信があるのに!!!!!!!
水形
> 何でデビューできないんだろ 意味不明 小説の出来は結構いいと思うんだけど 新人賞が取れないんだよね 下読みに落とされてるのかな 選考委員の作家自身は私の作品を読んでない可能性がある
> 全然新人賞の受賞のお知らせの電話が来ない。下読みが原稿落としてるんじゃないの? 下読みのセンスで落としていいのか? ま、人生はいいことなんて何もないと。苦痛な歳月がずっと続くと。

 自分だけ読んで自分がそう言ったら「10割の人がそう言った小説」だったろうにね。
 自分だけ読んで誰にも見せなかったら下読みのセンスのなさに思い当たることはなかったのにね。


○理解者がいない
久保
> ぜ……全部読んでくれた友達の評価が……微妙だった…… 嘘だろ…… 心が……折れる……
水形
誰も理解してくれる人はいない 小説も、何もかも ネット恋愛もくだらない

 高望みだったのかな?


○世俗的でない
久保
> そういえば、志田未来のファンってぼくみたいな純朴な人ばかりだと思ってたけど、意外と世俗的っぽく見える人が多かった
水形
分裂気質者は超俗的と言われるが、それはさなぎの状態だったのだ。 分裂気質者の人生は後半から幸せなものになると言われている。 つまり、この世は世俗的な(俗っぽい)基準しか通用しない。 林真理子氏のように、俗っぽい生き方を、私はするべきだ。

 久保君のツイートは純朴≠世俗とは言ってないから違うかな?(久保くんは多数派にアピールするし……)

○モテない
久保
> ひとつ確かに言えるのは……こんな理詰めな感じ方考え方をするぼくは、絶対に女性にモテない
水形
> バカに戻れば美意識が捨てられてまたモテ出すかも

 水形明言「モテない人はモテる モテる人はもてない


2017/11/15 久保崇史のツイッター上のやりとり

 久保くんウォッチ楽しい。
 今日はくぼっち(久保崇史の創作用Twitterアカウント)のやりとりを紹介したいと思います。

○久保「それになんでみんな異世界とラノベばっかりなんだよ!!!9割そうじゃん!純文学っぽいの書いてる人もいないことないけどめちゃくちゃレアだからファンつかないじゃん!ぼくのみたいなクソ真面目な小説、いくらちゃんと書いたってほとんど誰も読んでくれないじゃん!

 まずこれが発端の発言。作品の質に見合うほど読者がいない、作者や作品ではなく読者に落ち度がある、この世は間違っている、というような感情が伺える。


□相手『お悩みですね。 実は僕も密かにそのような悩みを抱えていた時期がありました。 ラノベのどこが面白いのかと(^_^; 実際に需要の問題なんですよね。 でも、やっぱり僕は純文学を書くのが好きなんですよね。』

 その「ジャンル」の読者自体が少ない、読む人は少ないけど自分が書きたいのだから書くという話。


○久保「純文学を書かれているのですね。 失礼なことを申し上げて良いでしょうか? 固定ツイートを拝見したのですが、100リツイートもされていて、1つもコメントがないですよね…。 つまり、みんな機嫌取りのためにリツイートはしますが、実質読んでいる人はいない…それが問題だと思うんです。」

 失礼。
 失礼なことを申し上げるのは、失礼に値する。
 リツイートした100人を「機嫌取りのため」と勝手に想像し、「読んでいる人はいない」と言い、問題扱いする。実質ってなんだよ。読んだけどコメントしない人はみな読んでないのかよ。


□相手『ええ、その通りです。それは自覚しています。 なるほど、他人が読まないことが問題だということですね。 それでは「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」ということわざをご存知でしょうか?』

 失礼を無視してあげる優しさ。この諺はイギリスの諺で、アドラー心理学でよく引き出されるよう。本人のプロフィール欄にも、やりとりの最後にもアドラーが出てくる。


○久保「すみません、こちらの返信を見落としておりました。 そのことわざは知らなかったですが、言いたいことは分かっているつもりです。 ただTwitterの読書アカウントやタグというのは、馬が水辺にたくさん来るくせに実は味見すらしていないという状況になっているのではないか、という主張です。」

 「こちら」とはこれのこと。これは置いとく(あとで取りに来ない)。
 諺の意味を理解できてないし、それを分からないと自覚した上で、調べない。
 たとえにたとえで返しているだけであって、
「馬を水辺に連れてっても飲まないさ~」
「自分が馬を水辺に連れてきたわけでもなく、向こうから来てるのに、飲むどころか味見程度もしてないさ~」
「「馬が干からびるさ~」」
 と言う風に、会話は一致しているとも言える。しかし後記によると、そんなつもりもないよう。 


□相手『どうやら誤解をしてしまっているようですね。 このことわざは久保さんの考えているような意味ではありません。 これは「あなたが水を提供したとしても、それを受け取るかは他者の課題であり、あなたの関わるべき課題ではない」ということを示しています。』

 まあ、そりゃそうわな……。
 他ジャンルばかりで自作が読まれない、リツイートされても読まれない、読んだとしても感想をくれない、という主張を諌める言葉ですね。
「なんでオメーを忖度せにゃイカンのか」って話ですよ。
 まあそういうと「忖度しない=想像力がない! 想像力がないのは人間として終わり! 人間未満! 閉廷!」で勝訴の紙持って走り出のかな?


○久保「確かに誤解してしまっていました、すみません。 でも結局、ぼくの主張はそれほどずれていないのではないでしょうか?」

 主張というのは「タグ付けなどしてリツイートされているが実際は誰にも読まれていない」のことかな?
 発端の「あるジャンルの創作者と読者が多数を占め、そのジャンルではない自分の作品が読まれていない」もありそう。
 「実力=人気と言えなくなっている」ってやつかな? ""実""の力ならあるのに!ってか。鈴木先生の選挙編をもう一度読んで欲しい。人気についても、実力についても、もう一度(一度くらいは)考えて欲しい。西くんには人気があったのか実力があったのかどっちもイーブンにあったのか、生徒にとっての生徒会長、あるいは選挙の仕組み、あるいは死に票について考えてもらいたい(嫌です)。

 もしかして発端の直前の「どれだけ大勢の人が、自分の作品を読んでほしいがために「RTした人の小説を読みに行く」というタグをRTしている「だけ」であるかが分かる。 大体、そんなリツイートを連発する人のタイムラインなんて面白いわけがないんだから、いくらリツイートされたって実質的には読まれないってことじゃん!」が久保くんの大事にしている主張なるものかな?
 それは、「まあ、そうだね」「そうかもね」っていう前提の話で、議論の余地があるのはその後の、
「リツイートを連発する人はなんのために?」
「どんな方法なら読まれるか?」
「なぜ読まれたいと思うのか?」
「あなたの作品は読まれる価値があるのか? 読むか読まぬかの判断を読む前にしてはイカンのか?」
 さらには
「タグは誰にどのような影響を与えるか?」
「人気やコネは実力に劣るか? また、実力には含まれないのか?」
「自分大好きすぎない?」
「価値があることは読まれることや読んだあとの満足を保証するか?」
 があって、それもまた同じように話を深められるし、その真偽や善悪を検討しても考えてもいい。もちろんそれ以外の切り口もある。「馬鹿にし講座:つまらないツイートばかりしている人の楽しみ方について」みたいなね。

 もし前提の「リツイートされた程度で自分の作品は読まれない」から続く、議論の余地に対して「それは私の主張するものではない」と言ったら、まあ、前提しかない、なにも考えてない人になっちゃいますよね。
 いやまさか! 「考えろ」 そう1日に10回唱えられる人は、立派な人間になれると思う。と言っている久保くんがまさか考えてないわけが! 考えろと唱えると立派な人間になれると主張する久保くんに限ってそんな! 久保くんが求めているものが新しい理解や深い考えではなく、自分への同意だなんてまさか! 浅羽先生や武富先生の言葉を納得できないと言って切り捨て、その言葉の内を考えないだなんてあるわけがない!


□相手『いいえ、全然違います。 これが具体的に示すのは「読者が久保さんの小説を読むか読まないかは、読者の課題であって、久保さんの課題ではないということ」です。 つまり、読者が読むかどうかは久保さんの気にするべきことではないということです。』

 うむうむ真っ当。とはいえ気にしてもいいとは思う。たくさんの人に読まれたい、褒められた感想を貰いたい、作品の質をあげたいと望むのももっともでしょうね。


○久保「ちょっとよく分からないので、この話からは降ろさせてください…。すみません。」

 ちょっとよく分からないので、この話からは降ろさせてください……。すみません。
 まるで、
 会話する気がない、話を理解する気がない、
 会話する価値がない、話を理解できる頭がない、
 自分の主張だけ聞いて頷く首振り人間が欲しい、
 自分の主張こそが最上で唯一の正答である、
 って言っているみたいだなあ。
「弁護側、なにか反論はありますか?」
「ちょっとよく分からないので、この話からは降ろさせてください……」
「被告人、死刑!」
「すみません」

□相手『それじゃあ最後に一つだけ。 『嫌われる勇気』を読んでみましょう。 これはアドラー心理学について詳しく書かれた本です。 きっと久保さんに足りないものを補ってくれるはずです。』

 親切。


○久保「嫌です。 この話においてぼくにたぶん落ち度はないし、よく知らない人に足りないと言われたのも尺なので…」

 不覚にもワロタ
 失礼な発言。
 落ち度(誤り)がないので、足りないと言うほうが間違いなのだろうなあ。
 あっ。相手に嫌われる勇気があるのか確かめたのかな?


□相手『それは申し訳ございませんでした。 ならばあとは久保さんの意思にお任せします。 どうか久保さんの望みが叶うことをお祈り申し上げます。』
○久保「ありがとうございます。」

 相手は「水辺まで連れてきたのに、飲まない馬なんだな。干からびるな」と思ったろうね。
 親切心で殺すって言葉を知らないのかな?
 お前のママじゃないから0から100まで付き合わないし頷き人形やドレンになりたくはない、ってことなんだけど。
 殺意を持ったのが優しい相手でよかったよかった。拳で殺す人もいるから。

 YGKBerで行われたKのSさんの言葉を思い出す。
 久保くん、一生、無理解に不満を募らせ続けるんかなあ。僕もお祈り申し上げます。


2017/11/16 久保崇史のFacebook

 飽きた。
 「自分の頭で考えよう」という言葉に「200%同意!」してたのがめちゃ面白かったのですが、飽きました。
 僕は久保くんの成長を願ってやまないのですが頭無い人から心無い発言を受けて心が荒むような思いがいたします。 


2017/11/18 久保くんのFacebookその2

 最近、ショックを受けることや怒ることが尋常じゃなく多いです。それも、普通は誰も気にしないことで。
そのことを相談すると、「それは人に過度に期待しているからだよ。人に期待しちゃダメだよ」と言われるのですが、そうすることが本当に良いのだろうか、と思います。
自分の期待に100%応えて欲しいとか、他人を自分色に染めたいとか、そんな極端なことではなく、
「最低限の思いやりや想像力があったら、普通はこうしない?」
くらいのことでさえ、期待してはいけないのでしょうか。「そう期待するのも傲慢だ」と多くの人が言いますが、誰が何と言おうと、ぼくは人に(少なくとも最低限の)期待をすることを諦めたくはありません。

 期待するのは、別に、諦めなくてもいいけど。その期待を「最低限の思いやりがや想像力があったら、普通はこうしない?」と押し付ける。そこでしょ。
 ひっくり返すと「最低限の思いやりや想像力がないから、こうしないあなたは普通でない」になりますね。いや、ひっくり返しただけですよ。別に、久保くんが、自分でこしらえた「最低限」「普通」を盾にして、他人を異常者扱いしていているとは、言ってません。ただ、「久保くんは、自分の想定にないものに対して『最低限の思いやりや想像力がない』『普通じゃない』と思うんだな」と誰かが思っても不思議じゃないですね。

「最低限の思いやりや想像力があったら、普通はこうしない?」
「最低限の思いやりや想像力があったら、普通はこうしない」
「普通はこうしない。最低限の思いやりや想像力があるなら」
「なぜこうした。最低限の思いやりや想像力があったら、普通はこうしない。こうするのは、最低限の思いやりや想像力がないからだ」
「こうしたお前は普通でない。最低限の思いやりや想像力がない」

 ここまでこれば、宗教者とDV男にジョブチェンジできます。

「こうしてしまったあなたは悪魔の申し子ですけど、僕の思う『最低限の思いやりや想像力』さえ持てば人の子になれますよ」
「お前は異常。お前は人間のクズ。下の存在だ。もちろん俺は教育するで? 拳で」

 このように読むことは、普通ですか?



学生団体、日本一周、インターンシップ、プログラミング、起業……。何かでかいことをやろうと思って、今まで色々なことに挑戦しようとしてきた。でも、目標が高すぎる上に自分が未熟すぎて何もうまくいかなかった。
うまくいかなくても、「いや、ここで諦めちゃダメだ。漫画とかでも諦めちゃダメって言ってるじゃないか。頑張れ久保崇史!」と思って何度か歯を食いしばったけど、ある程度やってみると現実が見えてきて、「あ、やっぱこれ無理ゲーだわ」と気づいた瞬間諦める。それを繰り返して来た。
でもぼくはそんな自分を情けないとはあまり思っていなくて、むしろ全部賢明な判断だったと思う。
「諦めなければ夢は叶う」というのは幻想だとぼくは思っていて、それは何故かというと、大抵の人はまず頑張ることができないからだ。しかも才能もなければ、いくら猪突猛進したって滑稽なだけだ。そういうのをたぶん愚直と言うんだと思う。
無責任な誰かの綺麗ごとを信じてムダに頑張る人が大勢いる。でもそうではなくて、自分が頑張れる領域、それも才能が活かせる領域で努力する。まずはその領域を探す努力をする。それが成功する方法だと思う。
この記事のタイトルには少しひっかけをしてある。正確に言うなら、「人生(を成功させようと思ったら、頑張っても上手くいかない領域で成功することの)諦めが肝心」だ。人生そのものは当然、諦めちゃいけない。
ようやく最近、自分の才能が活かせてしかも頑張れる領域を見つけた。学生生活の最後に、なんとか大逆転をしたい。

「久保くん! 愚直してる! SAVEに全然才能活かせてないよ! 小説全然才能ないよ! なんにも才能がないよ! 今すぐ諦めたほうがいいよ!」
 と、言われたとき、久保くんがなんと言うかと想像すると、「才能はある、技術もこれから身につきクオリティはあがっていく」「自分が頑張れることが大事、努力できることも才能のひとつ」「お前は馬鹿、見る目がない」「いちいち人のすることに難癖つけるな」とかだろうか。それ以外のもっと論理的で正しく妥当な言葉だろうか。
 まあなんにせよ、なにか言い返すわけですよ。
 その言葉。
 その言い返した言葉って、「無責任な誰かの綺麗事を信じてムダに頑張る人」たちも言っているんじゃない?
 
 成功と失敗、賢明と愚直、才能と努力。
 そういうの関係なしに。
 人のやってることをムダと言い放つのは、ウケるね。


後ろ向きな気持ちでやめるのはよくないと思いますが、やりたいことを見つけたなどで前向きに辞めるのであれば、「中退したなんて中途半端なやつだね」と決めつけてしまう人の方が浅はかだなぁと思います。

 「決めつけてしまう人」は、そりゃあ、浅はかでは?
 「中退したなんて中途半端なやつだね」がどこから来たのか気になるなあ。久保くんが言われたことなのかな? それとも久保くんの「普通」の中からかな?

 ちなみに、久保くんの中退者インタビュー記事の前書きに「あ、決して退学や休学を勧める記事ではないので、「この記事を読んで退学しました!」とか言われても責任はとれないですよ!!」とあるのですが、退学や休学を勧める記事であっても責任はとれない(とらなくていい)と思うぞ。「退学や休学を勧める記事」と「責任がとれる/とれない」は全く別の話。インタビュー相手が「自分の人生に責任が持てるのは自分だけ」と言っているのですが、久保くんそう思わないのかな? それとも、これは間違いだーと思いながら太字にしたのかな? インタビュアーというのは大変な立場ですね。


indexに戻る

inserted by FC2 system