inserted by FC2 system 世界に親切201304


201304 下に行くほど未来(つまり現在に近い)ですよー。

●人生最悪の日
困り感認識フォロワー麻雀腫物に触るよ可視化の共通点は作為的 悪文忘れたムーノーローカルは素晴らしいですね(未見) 村上春樹とかいう奴 知り合いの小説自分の振り見て我が振り直せ 共通のヴィジョン ふうフォルティティシモジェンダー 亜流人間反省反省TSUTAYA全身筋肉痛奴
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人生最悪の日

「すべきこと」と「したいこと」があった。どちらか一方しかできない。
「したいこと」をしないだけの理由は無数にあった。だがそれをすればとても僕は楽しいだろう。
だけど「すべきこと」をした。この「すべきこと」も少しは楽しいだろうと思って。あるいは将来が楽しくなくなることを不安がって。
もし解答があるなら「良」をつけられるルートを選んだ。だけど二重三重のミスによって0点近くまで下がってしまった。
(兄のバイクの荷物置き<ヘッドイン>を開けれない。自転車の鍵を無くす。駐輪場で鍵を挿しっぱなしにする。遅刻する。眼鏡を忘れる。
1000円払ったために3時間ほど雨の中を歩く。「したいこと」をしなかったことを後悔する)
もし「したいこと」をしていたならおそらく0点から上昇し100点まであがったろうか。家族へのゴマカシで0点まで下がったろうか。
そもそも点数とは。点数とは。
後悔は先に立たないけど100%に近い確率で後に立ってる。しかたないので前を見よう。
とは言っても横くらいは見て歩かなきゃ。轢かれて死ぬ。

夜は妙に視線を感じてふりかえってしまうけど……。


記念すべき一言目(実際のところHP自体は2012/4/1からあって3日ほど日記がわりにしてた。↑からちょうど一年前だ。浪人1日目にサイトを開いたのだからやる気のなさが伺える。その時はまだ沖縄にいて東京へ行くためのパスポートを残留日本陸軍に申請していたところ)(ちなみにアドレスのnstraightは『なかやストレート!』って意味のほかに『Non Straight』って意味もある。元々のHP名は『大学進学はストレートじゃない』だから)
「すべきこと」は「登校」で「したいこと」は「花見」だった(うなぎ来新宿の)。
ミスというのは電車賃が足りなくて何キロか雨の中あるいたこと。
視線を感じるのはままあって視力が低いためか物陰が人に見えることもある。(2013/7/23)


困り感

大学なのにクラス分けがあるとかいう高校型大学 is B級大学。
携帯もコミュ力もないのでキョロしかできない。勉強の面で充実してたらいいな。図書館はいい雰囲気だった。
ジュースコンパなるものがあって自己紹介で僕の番なったら耳が痛いほど静かになった。二浪おっさん(以下:中田氏)のいい雰囲気を破壊しつくした。
まあざっとこんなもんですよ。モテ奴は遠い。
通学は自転車をねだって30km往復しようかな。いや面倒かな。どうだろ。
気が滅入ってたのは雨のせいだと帰り際に気付いた。冷たくない服はこんなにも気持ちいいのか。きごこち人間。
ただ昨日のヤケクソ絶望感も雨の日だけだなあと感じ入る。あれは平素にはできない。


認識


同じ意味なんだって気付いた。
「気付き」や「配慮」や「客観視」は認識していれば……
「認識」や「配慮」や「客観視」は気付いていれば……
「認識」や「気付き」や「客観視」は配慮していれば……
「認識」や「気付き」や「配慮」は客観視していれば……
どの言葉でも意図することは同じ。どれか一つはぜんぶで一つ。
できているか否かがすべてなんだなあ。精進しなければ。


フォロワー

Twitterではなく単純に英語の意味です。追従者。
僕は僕の脳に対して従順になりたいですね。盲目ではなく。学ぶことと生きることに対して自由でありたい。
先生は必要ですか? すべて自分の中だけです。
精神的自立も時間的・空間的自立も同じことです。
だれかに依存すれば楽かもしれませんが「依存→思考停止=快楽」は間違ってないと思うのです。
依存した状況が最も安定しているのでしょう。支えあって出来ている「人」という文字は依存し合っているから安定しているわけですよ(二点だと安定してないと思うけど)。
不安定な環境が人間らしいと思うのです。直立二足歩行は安定してますか? 支えがなくても直立をするのが人間ではないですか!
人間と人間性のどちらが神を求めますか?


麻雀

大学の説明会はもう不要かなと思ったけれど父母が大学を見に行くらしいので連れられた。
部活動の説明会があってくだらなかった。説明会の委員が「前に出やがって糞二・三年共が〜」とか言ってた。いい性格だなと思って少し話した。ぜひ仲良くなりたいな。F君みたいにならねば。目標はモテ奴。
文藝会が森博嗣の言葉「言葉にしきれないものに言葉を尽くすことこそ小説〜〜」みたいのを引用してさらに
「(部活動紹介とかいう)筆舌に尽くしがたい退屈さこそ文章を尽くして伝えるべきなのです」と言っててすごくよかった。
それで帰りに文藝会の部室を探していたら麻雀部が見えたので参加。「掛け持ちにしやうかな。二つでも年6600円だし」という口実で親からお金を巻き上げる邪悪さ。


腫物に触るよ

昨日の麻雀のときだろう。蚊がいた。蚊を見たのは引っ越してから初めてかもしれない。噛まれていた。
気付かない内に事態は悪くなるのか……。あるいは気付かないものは意味がないということか……。
強がりでもなんでもないが全然かゆくない。内地の蚊は弱いのだろうか。
ゴキブリとかいう忌まわしい存在も見ていないがおそらく小さいのだろう。
あるいは形を変えて生息しているとか……。気付かないだけで微小のゴキブリが偏在しているのでは……。
気付かなので実害はないけれど。
(「すばらしい人だけど前科者」は打消しあってる? 「だけど」は人によるだろう)。
蚊にかまれたのは懐かしい。さすっているけどかゆいわけではないよ。


2013/7月中頃についにゴキブリが登場。安息はもやはない。(2013/7/25)


可視化の共通点は作為的

題名の通りです(説明不十分ですね)。
「可視化」は「見える状態にする」ということです。
「共通点」は「同じところ」ということで す。
「作為的」は「選んでいる」ということです。
つまりそーいう意味です(説明不十分ですね)。
説明が下手ですね。具体的に行きましょう。
森博嗣とジャッキーさんがいます。おそらくこの世に。
出身地が同じです(愛知あるいは名古屋)。
語ることも「(どちらかが)同じこと言ってたー!」とひらめくこと三千里です。
が。
この「同じこと」は既に「受け入れやすいもの」「僕が欲しがっているもの」ばかりを抽出しているのです。
ジャッキーさんの「歌」「情」に関しての言葉はわりと右から左ですが「まなび」になるともう身ィ乗り出します。
そういうことです(どういうことなんだ……?)
僕の中に溜まった「言葉」は偏ってます。トライXで万全なのです。
会話で「カツカレーは美味しいとよく言われてますよね」「僕も好きだよ」「僕はカツカレーが食べたいです」では変。
たべろよ。たべろよな。


悪文

純文学だなんてのはコア読書奴しかいないので悪文を書いても平気なのですよ。
むしろ「時間をかけて読めるからいい!」とさえ思われているようなのですよ(和歌みたく)。
さらに一歩すすんで(さがって?)「理解できない方がいい」とさえ思ってるようなのですよ。
あの人たちはめっちょ深読みするんですよ。
僕はそんなに考えてないのにですよ!
こちらが申し訳ない程に行間を(奇跡)想像力で補完するんですよ。
ネット小説なんかもともと存在意義がないので見た人だけがみればいいんですよ。
だから想像力が必要な悪文でもOKなわけですよ。
「伝えること」が目的ではないしそもそも「伝えること」がないんですよ。
そういう空っぽの文章であると自負しているので悪文を許しているんですよ。
(あるいは「地力を評価されて馬鹿にされるなら言い訳を残した方がましだ」と思って文章を難解にするとか)
影響を与えるというのなら身の入れ方は違うはずなんですよ。
このサイトが10万Hit/日ならもっと違う文章を書いてるはずですよ。
こんな感じですよ。 http://ugnews.net/special/muunoo-Untitled.html
視線の「量」は気にしてない(誰も見ていないと推測)けれども「有無」に関しては意識しているつもりですよ。
あたりまえですが僕は同じ意見でもバックボーン(その人の背景)の違いにより見る目を変えます。
えらいひとを無条件に信じるという意味ではありません。
「前科ありの人には近寄りがたい」「前科ありの人が言う『人を殺すな』には説得力がある」です。
これは「相手のこと(前科)を知っているか」で印象が変わります。
印象は変わりますが「言葉そのもの」は変わりません。
言葉そのものは変わりませんが「印象」は変わります。
「言葉そのもの」は「真実」だとしても「印象」が「不真実」ってのは十分ありますよね。
気付きましたが「相手のことを知ると印象が変わる」にも関わらず「本質を知るには信頼が必要」と考えているようです。
神がいると知るために神を信じなければならないみたい。
もっとも信者にしてみれば「順序が逆」なんだろうけど。
相当な悪文になってしまいましたが「人間関係は二重盲検法である」を結論といたします。
(結論どっからきた)(悪文の話はどっかいった)


忘れた

ひとつのことを考えるのにいくつかの事柄を並行して思考するのが普通ですよね。
人の顔を思い出すときに「目」「鼻」「会った場所」「名前」を同時に巡らせるのとおんなじです。
たとえば「手相」という言葉を見たときに何を思い浮かべるか〜という話です。
思い浮かべたものは「手相」よりも多くの言葉を使うでしょう。
頭の中は常にいっぱいです。なので忘れます。
忘れました。思考は階段ではなく川です。
文章には一本の階段で現れますが川は無数の流れがあります。源泉もひとつじゃないですよね。
嘘をつかない限り事故らない滑走路です。同じ方向へ飛びましょう。
人間がマッハに耐えるといいですね。真の安全です。
思考の跳躍は詩的ですが詩ではありません。僕がそう決めています。
なのでダ・カーポは一度のみで終わり。パンパカパーンでございますよ。
今回の題名は「毎日更新忘れてた」「書こうとしてたのなんだっけ」という予定でしたがズレてきましたね。
もう遅いですが。
そもそも日付ないからバレないし。そもそものそもそもに誰も見てないし。


ムーノーローカルは素晴らしいですね(未見)

ふたつ前のリンクに貼っているのは解説・ムーノーローカルの作り方というものです。たしかちゆ12歳とかその周辺を調べていた
ときに見っけたので5年前くらいかな。ググればすぐでるので発掘というほどでもありません。「これは森博嗣だなー」なんて思って
けどジャッキーさんでもあるしこのrhymeさんでもある。
「目に付く」というのは僕がそれを気にしているということ。ふたつ前の日記(?)はそういうことです。
おそらくブログやHPをする人はみんな「自分だけは特別〜」なんて思ってるんじゃないだろうか。
それをどれだけ意識的に「特別〜」にしたかの説明がこれなんだろうな。と思う。

> できれば最終的には話題とまったく無関係な結論を目指して書く。

> 社会、時事、政治、文化、インターネット自体、などに興味を持ったり意見を述べる必要はない。自分がそれについて何を考えているかはまるで関係がない。

> できるだけ簡単そうに書く。誰でも真似ができそうに書く。いい加減にやっていそうに書く。時々本当にいい加減に書く。明るさと軽さとスピードのあるものを心がける。重苦しいテキストが高尚なものだとは絶対に思ってはいけない。

> 単なる尊大な読み物など、少なくとも作者はwebで読みたくはない。したがってキャラクターとして尊大に書く必要が出た場合には、誰の目にも明らかに作者が間違っている部分を作る。記事を読む上で前提となる一般常識が間違っている、記事の読み方自体が間違っている、「知らないんだけど」、など。

こういう意見をいう人は初めて聞いた。知り合いでいいそうな人は……とイメージすると童貞のあの人がいいそうだなという気はする。
それにしても凄い。ほんとうの本当に「エンタメ」という考え方・作り方そのものではないかー。
エンタメ⇔アート は 他者⇔自分 だーとか言ってたけど浅すぎたな。比率でしかないのだ。
ムーノーローカルは振り切ってる人なんだ。まっすぐGO。


村上春樹とかいう奴

なーにが村上春樹じゃよ。
村上春樹はうんこなんてしません!なんて主張してるみたいじゃよ。はあ。
ところで「自分の力を試したいだけの超人」って一人知ってるような。
なるほどー。 ははあー。感嘆に意味は無し。やれやれ。僕は射精した。ヤった人は八人か九人。


知り合いの小説

感想書いてやるから読ませろーと言って去年の今頃に原稿もらい今年1月にも最新版が送られてきた。
(原稿とか言うと同人で声高に「締切がー!」とか言ってる奴っぽいな)
それを放置してる。なーぜか読む気が起きません。うむむ。困った。
この知り合いの小説は10万字もあるのだ。長いねー。だから感想を書く本腰が入れられない。
しかし10回は読んでいるから速読できるし途中それほど大きな訂正はないだろう。
それにしても10万文字か。僕は頑張って書いても5000文字(原稿用紙換算で17枚)。
3日で書いたから20倍で60日……。ふむう。
クオリティは低くない。ライトノベルとしてはまともな部類だと思う。
部分的には光る所がめっちゃあるのだけどずいぶん感情移入している。
僕が甘く見てる可能性は高い。そこを差し引いて「低くない」。絶対に低くはない。トータルで見れば「ふつー」の小説だ。
ふつーの小説を10万文字。
僕からみりゃあ幸せな環境だなあって思うけどねえ……。余生は。


自分の振り見て我が振り直せ

なんか「馬から落馬」みたいだけど。挙動がね。
自分が勝手に作った理想からはなれてるんですよ。
そりゃあ理想だから離れているけど近づけないと。
近づけないとしかたない。


共通のヴィジョン

ナチュンって漫画の持つ「うねり」の終着点は「死の感覚を人類全員が持つことで平和になる」というものでした。
世界中がみんな同じ宗教を信じてたら世界は平和になる。というアレです。
実現不可能だけどみんなが求めてる。
まなびストレートの「私にも見えるよ」も同一ですね。
生徒会メンバには見えている。けれどみんなは見えてない。だから70%に達しない。駅前のダンスイベント。
『集う仲間たち』で入口を見せたわけですよ。「騙されたと思って」で入ったら面白かった。みたいな。そんなもんがわりとよく散見されます。

大学のクラスの人が新歓コンパとかいう共通のヴィジョン持っててつらい。
つらくないけど。


ふう

自分の作品が褒められるのはうれしいけれど褒められる必然性はないんだよなあ。 もっとうまくかけたので悔しい。もっといい作品ならもっと嬉しい。考えたこともなかったけど自分に厳しめなのかなあ。


フォルティティシモ

めでたい! めでたい!
完成稿は色々と変えられてますね。僕の案もいくつか採用しているようで嬉しいです。
好きなシーンがいくつか削られていますが序盤からもうかなり色々変わってて改めておもしろい。
全体的に簡素というかスポーティというか。どうとは言えませんがネット小説っぽさが薄れている感じです。
完成された作品には指摘しません。一読者として楽しんでます。
この作品は公開するんですか? 秘めたままではもったいないのでは?
(とはいえTさんが書いてるから何度も読んでるから好きすぎるだけかもしれないけど)

さっきのメールで「もったいない」と書いたけれど訂正。「めっちゃもったいない!」です!
Tさんの心の闇的ななんかこうアレとみんな正しさに向かう感じ。すばらしいなと思います。8章の発表シーン。一番好きなところです。いいものはいい!ですよ。
9章(アンコール)のゆったりと収束していく感じも心温まります。
一番最後の登呂が拳を出して決別。あれはよいですね。
登呂は「まなびストレートの天宮学美」でイメージしてましたが彼女もグッと拳を突き出すんですよ。最終話でもそのポーズを。それがラストの登呂と完全に重なっているのでビックリしました。状況も似てるし(同じではないけど)。
読ませていただいてありがたいです。ほんと。どれくらいの人に読ませてるんですか?
この作品は原稿用紙359か360枚でした。ライトノベルの新人賞応募規約見ましたら「200〜400枚」とか「200枚以上ならOK」とか。
しかも求められてるのエンターテイメントですし夢の印税生活で余生延長なのでは。
投稿しないならせめてHPに載せましょうよ!ほんともったいないので。
いや。もったいないというかこういう良作が隠されたままなのはつらいです。
僕が好きになりすぎてるだけかもしれませんが(とか言いながら読み延ばしてたけれど……)。
期待以上に面白かったです。完結よかっためでたいです。以上です。


ジェンダー

なんか女の先生はジェンダーばっかり言ってる気がする。
なつかしの高1の国語教師(女性)の話で性差を考えるようになって3つの性について自分でも書いたりしてる。

> 肉体的な性、自分の性別認識、恋愛対象の性別。この内ひとつでも大衆《じょうしき》と異なったら、もうオカマオナベホモゲイレズ扱いだ。身震いがする。

3つの性は「肉体的な性(sex)」「好みの相手の性別(sexuality)」と「自分の性別の認識(これはなんて言うんだろ?)」。
ぐぐって見た。
「性別(sex)」「性的指向(sexual orientation)」と「性自認(gender identity)」でした。
ははあ。なるほど。「性別は(男/女)だけど心は(女/男)」ってのは文字通りの意味だったんだなあ。「肉体の性=性別」なんだから。
「心に優先されて性別は決まるはずだ!」とか声を荒げてたのは間違いでした。まる。
ところで今日読んだジェンダーの話。
「私の息子はゲイ」ハロウィーンに女装した5歳児を持つお母さんのブログが痛快です

ゆっくりだけどだいたいはよい方向へ変わりつつあるんじゃないかな。人間は望む方向に転がるというのが持論だから。
ノンポリ・フェミニストですよ。


亜流人間

人間なら亜流以外ありえないです。「亜」は「つぎ」の意です。
オウム返しに人間性はないです。コピー&ペーストじゃあ自分がないじゃないですか。


反省

僕は割と脳内会議をしちゃう人です。去年の今頃は無銘喫茶に入る前にゴミ捨て場近くで「会話ノート」をひらいて予行演習してましたね。
いまは脳内木曜□します。実戦ですこしは活かされているかも。
ジャッキーさんがこのサイト見っけたために僕の脳内ジャッキーさん(笑)も反応して叱ってます。

「読む人のこと考えられてない」(強調して区切って言ってた)

もうしわけない。「視線の有無は気にしてる」とか上で言ってるのに足りませんでした。
怒られてしまいました。想像より実感が大事ですね。頭でっかちなのです。反省!
漢字を半分くらいひらいて女の子をかわいく描写します。


反省

光学式マウスのように反省しています。


TSUTAYA

千円単位で自由に使えるお金があったからTSUTAYAとかいう世界に行ってきた。
よく耳にする音楽グループがいくつもあったけれどピン!と来たものだけをレンタル。3000円也。興味あるしまず間違いなく面白いだろうし200円だし聞かない理由はないんだけど借りなかった。ザ・フーは「うーむ」と迷ったけれどやめて電気グルーヴを借りに借りた。クラフトワークも借りた。テクノ系を欲してるんだろうなーとか思いながらキング・クリムゾンも借りる。似たようなもんやー。
音楽は繰りかえし落ちついて聞きたいので当分満足。いままでの「聴くペース」だと三年分くらいか。「積ん読」になりそう。
ちゃんとしよう。

「効く」と「利く」の使い分けは「細かい」けれど
「聞く」と「聴く」の使い分けは「カッコイー」ってなって
「聞く」と「訊く」の使い分けは「ウェーイwww」ってなるよね。


全身筋肉痛奴

足が筋肉痛でいたい。
足の正面側の筋肉が筋肉痛でいたい。尻もすごくいたい。腕の根本(肩?)もいたい。
ところで足の正面側にも筋肉あるんだね。骨のうしろでたゆんでるだけだと思ってた。
腕をさわってみると甲側と掌側の筋肉比率は1:9くらい。
前とか後ろじゃなくて折りたたまれるときの収納スペースの関係?(外側だと伸びるから)
そういえば脂肪はおなかにたまるなあ。背中側は遠心力で飛んでいったのかも。

などということを書きながら連想しました。
ページ開いたときは「いろんなことに気付いてるよ。成長!」みたいなこと書こうと思っていたのだけどきちんと考えることが足りてなかったなあ。まあ二歩成長したってことで。
 



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